「中国研究者が中国政府とから距離を置こうとした」と大嘘を書く朝日社説

2010年02月02日(火曜日)付 朝日新聞社
■日中歴史研究―政治との距離感が大切だ
http://www.asahi.com/paper/editorial20100202.html

●●●朝日の社説 Ver.148 より
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1261885671/l50

566 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 06:19:17 ID:rS/AIIKY0
>小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝で冷え込んだ日中関係

これはもう枕詞みたいになってるな

>南京大虐殺の犠牲者の数も中国側は最大で30万超と主張するなど、評価の違いも
>当然のことながら目立つが、一方で総じて抑制的な表現が多く、淡々と書かれている。
>双方の研究者とも、日の丸と五星紅旗から距離を置こうとした跡がうかがわれる。

問題は中国側なのに、ここで「双方」と書くのが白々しい

567 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 06:23:19 id:fkfrsLF50
中国共産党の認める「正史」から踏み出した中国側の見解があるのかね。
何が「五星紅旗から距離を置こうとした」だ。嘘も休み休み言えよ。

568 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 06:27:17 id:niLl7WsI0
■日中歴史研究―政治との距離感が大切だ

南京大虐殺の犠牲者の数も中国側は最大で30万超と主張するなど、
>評価の違いも当然のことながら目立つが、一方で総じて抑制的な表現が多く、淡々と書かれている。

朝日新聞がさりげなく「南京大虐殺」という表現を復活させている事を見逃さない。
しかも「」にも入れていない堂々の書きっぷりである。

なぜ堂々と復活させる事ができたか?
それは日本側の研究者とされる連中が、「最低でも2万人は殺された」と存在自体を認めてしまったからである。

一体その数の根拠はどういうところからはじき出されたのか?一般国民にも説明する義務がある。
それと同時に明らかにしなければならないのは、虐殺の定義である。
「そこに死体があった」「だから虐殺があった」とは言えない。
問題は虐殺されたという人の身分である。
具体的には「そこに兵隊の死体があった」では虐殺にならない。
「そこに一般市民の死体があった」でなければならない。

おそらく埋葬した死体の数から判断(そういう資料がある)し
「埋めたんだから死体があったのは間違いない」として、
「虐殺はあった」と日本側の研究者とやらは判断した、と予測する。
しかしその死体の身分、肩書きにまで注意を払ったとはとても思えない。
つまり最低の予想される数は「ゼロ人」も含まれる。
軍服を着た人間は数に含めないのは常識である。
彼らは戦争の犠牲者とまでは言えても虐殺の被害者ではない。

数の根拠と虐殺の定義については、繰り返すが一般国民に説明しなければならない。
朝日新聞も「南京大虐殺」などという言葉を未だに使う以上は、
数の根拠と虐殺の定義について、読者、国民に説明しなければならない。


569 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 06:28:00 id:niLl7WsI0
 事と次第によっては、我々は対米言論攻撃をしなければならない。

さすがに軍服を着た人間については虐殺の被害者に含めるような真似はしないが、
沖縄には大量の一般市民の死体があった。これは間違いない。

一般市民が数多く暮らす沖縄に上陸作戦を敢行した場合、必然的に一般市民の虐殺が起こる。
当然予想できた事だ。硫黄島サハラ砂漠が戦場ではないのだ。

朝日新聞アメリカ軍による沖縄大虐殺について書く覚悟があって南京大虐殺などと書いているのだろうな?

571 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 08:20:08 id:rJvoz25z0
朝日的には、「ちゅうごくさまのせいとうなれきしかんににほんがしたがったのは
すばらしいことであ〜る!!」って言いたかっただろうな

572 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 10:27:19 id:ZGV4bQTR0
■日中歴史研究―政治との距離感が大切だ
中国共産党との距離感だろ。はっきり讒言してみろよ、御用新聞!(笑)
報告書の内容から日本政府とはしっかりと距離を置いていることが明らかなのに、
これじゃ日中両政府が干渉しているみたいだ。

573 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 11:10:29 id:Il8EXets0
>>568
朝日新聞はかつて戦争中従軍記者を派遣しまくったんだから
そんなビッグニュースがあったんなら当然写真取りまくったはずだよね
それじゃなかったら大新聞社失格だよね

早く当時の資料や写真を出せよ

574 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 12:52:34 id:ZGV4bQTR0
>日中間で相互理解を深めるのは当然だが、研究は日中で独占されるべきもの
>ではない。諸外国の幅広い有識者の知恵や研究成果をとり入れてもらいたい。

ここ試験に出ます。
「諸外国とは?」への正答は、「韓国、北朝鮮の2国」な。

575 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 14:37:03 ID:8jYH/K3I0
今、外務省HPの日中歴史共同研究報告書の菊池秀明(国際基督教大学)の書いた
「日中の政治・社会構造」の部分だけ読んできたけど色々問題ありそうだな。
そもそも歴史事実の捉え方は日本国内の学者の間でさえ百家争鳴状態だから
「日本側の主張」など存在するはずがない。
五輪やW杯じゃあるまいし「日本」とか「中国」とか国別に分けること自体、
学問を侮辱している。

576 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 15:19:11 id:tvszllzq0
中共同研究なんて始めた安倍はアホとしかいいようがない

577 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 15:46:01 ID:8jYH/K3I0
民主党政権は聡明だから共同研究を中止すると思う

578 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 17:05:28 id:g03D4pK+0
>>575
>歴史事実の捉え方は日本国内の学者の間でさえ百家争鳴状態
というより日本には六国史以降歴史観ガイドラインとなる「正史」が存在しない
(あくまでガイドラインであって「正史≡歴史事実」ではないが)
だのに専門家とやらが自分の研究成果を既に証明済みの普遍的事実のように語るからワケワカになる

逆にだからこそ日本の歴史研究、というか「特アの気に入らない歴史研究」は
文書記述や証言を鵜呑みにせず背景まで含めた考察するテキスト評価が主流になってるんだがなあ

579 :文責・名無しさん:2010/02/02(火) 17:17:11 id:nh2cPF//0
>双方の研究者とも、日の丸と五星紅旗から距離を置こうとした跡が
>うかがわれる。

 ここ笑うところ?

 ま、日の丸から距離を置こうとしたことは確かだろうが。


朝日社説全文は以下
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日中歴史研究―政治との距離感が大切だ 日中歴史共同研究の報告書が公表された。中国側の求めで戦後の部分が非公開となるなど、問題は多い。だが、いくつもの困難を乗り越え、ここまでこぎ着けたことを評価したい。

 歴史認識にかかわる問題は争いが多く、トゲも含む。それは専門家の冷静な議論に委ね、政治は未来志向で戦略的な協力関係を目指そう――。

 小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝で冷え込んだ日中関係の打開のため、日本側が歴史の共同研究を提案。2006年10月の安倍晋三首相(当時)訪中で、中国側と合意した。

 発端が政治主導であるうえ、相手は学問や表現が自由ではない中国である。日本の専門家には、成果が得られるのかという疑問が当初からあった。中国側にも「侵略戦争の責任を日本側が否定するのではないか」との警戒感が強かった。

 しかし、歴史認識の違いが政治の世界だけでなく国民の感情にも大きな影を落とす日中関係で、日中の専門家が公に語りあい、成果を公表するという計画は画期的だった。

 「古代・中近世史」と日本の戦後の平和的な歩みも含めた「近現代史」について、双方が論文を書き、意見を出し合う。討議の要旨もつける。日中平和友好条約締結30周年の08年には報告書を出す。

 そんな当初の狙い通りに実現すれば、報告書は日中の歴史を考えたり、話したりするときにもっと役立つガイドブックになったことだろう。

 研究の継続を確認した08年5月の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の訪日までは、議論は順調だった。だがその後、一般国民への影響などを理由に中国側が、討議要旨に続いて論文すべての非公表を求める事態に陥った。

 論文や討議要旨のなかに、中国の一般市民の知らないこと、知らされていないことがあり、表に出せば問題が起きかねない。中国政府がそう恐れて待ったをかけたのだろう。政治との距離を置くという当初の目標が軽視されたことは、極めて遺憾だ。

 とはいえ、曲折を経て1年以上遅れて公表された報告書に驚くような内容はない。南京大虐殺の犠牲者の数も中国側は最大で30万超と主張するなど、評価の違いも当然のことながら目立つが、一方で総じて抑制的な表現が多く、淡々と書かれている。双方の研究者とも、日の丸と五星紅旗から距離を置こうとした跡がうかがわれる。

 共同研究はこれからも続くことが決まっているが、戦後部分の公開を急いでほしい。日中間で相互理解を深めるのは当然だが、研究は日中で独占されるべきものではない。諸外国の幅広い有識者の知恵や研究成果をとり入れてもらいたい。研究が静かに続けられるよう見守りたい。