『新安保懇報告―「力には力を」でいいのか』:朝日の古臭いマヌケな社説

2010年08月28日(土曜日)付 朝日新聞社
■新安保懇報告―「力には力を」でいいのか
http://www.asahi.com/paper/editorial20100828.html

●●●朝日の社説 Ver.151
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mass/1280574206/ より

271 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 07:42:50 id:Ad8hoX3o0
■新安保懇報告―「力には力を」でいいのか

何日かぶりに朝日新聞がマヌケ社説を書いた。やっぱりお前たちはダメな奴だ。
「(相手国の)力の脅迫には話し合いを」と主張する(ほとんど確実)朝日新聞に比べ、
「力には力を」の方が現実的であり真理を衝いている。「目には目を・歯には歯を」は合理的な思考である。

>安全保障問題は民主党政権の苦手分野といっていい。
>野党時代から、このテーマにきちんと向き合ってこなかった。

朝日新聞にとっても苦手分野だし、このテーマにきちんと向き合ってこなかったのは朝日新聞も同じだ。
だからアメリカのイラクにおける政策に協力せざるを得なかった日本をしたり顔で攻撃できる。
一言で言えばこの社説は古くさい。古い。しかもマヌケだ。

>また戦後、「国是」とされてきた非核三原則のうち、
>米国の核持ち込みの禁止について「必ずしも賢明ではない」と疑問を投げかけている。

アメリカの日本への核の持ち込みに目をつむるいわゆる「核密約」を暴けば、
(というかみんな知ってる公然の秘密だったが)当然こういうオチになるのは予想できたことだ。

日本政府がアメリカに対し核抑止力(核の傘)を求めながら、他方「持ち込む事は許さない」と言うことは、
政治的に問題なことくらい、朝日新聞社員以外は分かっていた事だ。
それをバカな朝日新聞ときたら、「日本に核兵器を持ち込まなくても技術が進歩したため核の傘は機能する」
などと、政治的な問題を技術的な問題(?)にすり替えて、我ながら上手い回答をしたものだと悦に浸っている。

272 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 07:43:47 id:Ad8hoX3o0
>日本周辺に、あたかも本格的な軍事侵攻を仕掛ける勢力がいるかのような指摘はバランスを欠いていないか。
>相手の脅威に応じた防衛力整備は、防衛費の増大ばかりか軍備競争や摩擦の拡大にもつながる。
>戦後一貫して、他国の脅威とならないとし、専守防衛を掲げてきたわが国の理念からも逸脱しかねない。
>それがアジア諸国の目にどう映るのか、いま一度考えてみる必要がある。

ここいら、ひとかたまり全部マヌケだ。
まず最初に「本格的に軍事侵攻をかけるぞ」と日常的に宣言している国は存在しない。
戦争はある日突然始まるものである。
「軍備競争や摩擦の拡大」は中国が招いている事で、日本は巻き込まれているだけだ。これは中国に言うべき事だ。
しかも強化した軍事力を実際、軍事力の弱い国々に対して脅しに活用している。
「他国の脅威」にならないとはたいそうご立派であるが、「他国が脅威」になった場合が想定されていない。いかにも古い。
アジア地域の強国は未だに日本だけですか?
アジア諸国の目」を言うに至っては、これぞ20世紀的としか言いようがない。
中国とベトナムとフィリピンとインドネシアとタイとインド等々等が、「同じ立場に立っている」と頭から信じ込んでいるのは
朝日新聞社員くらいのものだろう。アジア諸国間でも経済格差がずいぶんつき比例してその国の持つ軍事力にも格差が差がついている。

アジア諸国」ではなく、国名くらい挙げなさいよ。
日本人のくせにずいぶんと杜撰な仕事で通じるものだな!この業界は。

273 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 07:44:56 id:Ad8hoX3o0
>防衛大綱は1976年に初めて策定されて以来、
>「脅威に直接対抗せず、自らが不安定要因にならないよう必要最小限度の防衛力を保有する」
>という抑制的な考え方を継承してきた。

1976年というのは、昭和51年だ。この年に生まれた赤ちゃんは既に34歳の中年だ。
昭和51年はあの毛沢東が死去した年である!
この時中華人民共和国核武装はしていたが、ようやく内部の混乱が収束し始めた時期であり今の力は無い。
この昭和51年当時アジア地域において経済力など力が突出していたのは確かに日本である。
その持てる経済力を軍事力強化に積極的に使ったら、を考えた場合、
1976年の防衛大綱のような考え方も当時としてはありうる。

その年と今が同じであるわけがない!国際情勢はすっかり様変わりした。
何しろ21世紀になってしまい、それも来年で早くも10年目である。
なのに1976年の価値観に固執するとは!だから20世紀的だと言うのだ。

何よりもこの社説には決定的な論理矛盾がある。

>安全保障問題は民主党政権の苦手分野といっていい。

ハッキリ朝日新聞は断言した。「民主党政権は安全補償問題が苦手だ」と。
だが別の箇所では

>政治主導を掲げながら、大綱見直し作業を外部の有識者に丸投げしていたことも、その証左だろう。
と言い、
>適切な政治のグリップなしに大きな政策転換に突き進んでいいのか。
などと言う。

このテーマが苦手な者にこのテーマの主導をさせていいのか?とは考えられないわけか?
むしろ自分が苦手だから、得意な人の意見をよく聞く、という方が合理的である。
「オレはこの分野は苦手だが、苦手だろうとオレが主導する!キサマらにゃ口を挟ませねぇ」と言う奴がいたとして、
そいつのどこがそんなに素晴らしいのか?

考え方が20世紀的で致命的に古い上に、まともに論理も組み立てられない社説を書いてしまうとは。
お前たちは本当にダメな奴だ。何のために存在しているのか分からない。

274 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 08:41:18 id:lfemgg8Y0
>>270
 ■新安保懇報告―「力には力を」でいいのか
例えば、警察官。
犯罪者が銃で襲ってきても、
警察官は警棒だけで応戦しろってこと?
朝日は、いろいろと脅迫を受けているだろうが、
もちろん警備なんかおかずに社屋をオープンにして無防備にしてるんだろうね?

275 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 08:43:10 id:lfemgg8Y0
「軍備は、持っていれば使いたくなる」って言うのが朝日流だが、
包丁だって持っているし料理に使っているが人を刺そうとは思わないがね。
戦争をしないために軍備であって、
戦争をしたければ軍備を軽微にするさ。

276 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 09:39:03 id:migRr5wW0
北朝鮮は拉致を行い、国際テロも行った。
中国は周辺諸国と紛争(主に国境問題)しまくりのうえ、日本に核の照準を合わせている。
話し合いによる解決も結構だが、武力が背景がなければ相手は聞き入れないのが現実。
まあ、朝日にとっては現実なんて無意味なものだろうけどね。

277 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 10:11:03 id:M72NYjFe0
>米国の核持ち込みの禁止について「必ずしも賢明ではない」

米国の核戦力はグアム配備の爆撃機・本土からのICBM・潜水艦発射型弾道ミサイル
の3つで国是とするまでもなく持ち込まれないでしょうって事じゃないの

>日本周辺に、あたかも本格的な軍事侵攻を仕掛ける勢力がいるかのような指摘はバランスを欠いていないか。

中国・ロシア・韓国これらの国は揚陸艦が軍に配備されてるし日本と領土問題を抱えています。
またロシアは日本が北方領土を軍事力で取り返した時、再奪取のためにフランスから新型の揚陸艦を購入する予定です。
軍事侵攻を仕掛ける能力も動機も周辺国にあるのに「バランスを欠く」とか言うのですか。
それともノルマンディー上陸作戦の様でないと本格的でないからokと誤魔化すんでしょうか?

279 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 13:47:13 ID:m+FXWDI00
専守防衛ねー。
相手が攻撃してきたら恰好よく受け止め反撃。相手が倒れてても決して
再攻撃せず、立ち上がるのを待つっていう車田ワールドな思想だな。
相手の攻撃が「ペガサス流星拳」や「ネビュラチェーン」レベルなら
ともかく「ライトニングボルト」、「天舞宝輪」級だとどうすっかって
話になるわなあ。

280 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 15:07:56 id:DO8ScEjI0
簡単な例でいえば、「話せば判る」→「問答無用!」だな

>>274
みずぽがまさにそんなことを言っていた気がする

281 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 17:48:56 ID:3tRIs3ib0
>それがアジア諸国の目にどう映るのか、いま一度考えてみる必要がある。

日本に核ミサイルの照準を合わせている中国から見れば、
「脅しが効かなくなる」。

283 :文責・名無しさん:2010/08/28(土) 21:44:44 id:UD5bAJoP0
今日の社説は朝日の先祖がえりだね。
海兵隊の存在の重要性を改めて知った。こんな鳩山の「迷言」まで飛び出した普天間問題。
軍事を知らずに平和を語るのは敵を知らず戦いを挑むようなもの。
平和志向=軍事無知の政治家では話にならない。

朝日社説全文は以下
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新安保懇報告―「力には力を」でいいのか 大きな方向転換がもくろまれている。懸念をもたざるをえない。

 民間有識者でつくる「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が報告書をまとめ、菅直人首相に提出した。日本の安全保障の指針「防衛計画の大綱」の見直しに向けたものだ。

 「平和創造国家」を目標にすえるのはいい。しかし、脅威には軍事力で対抗するという「力の論理」があちこちに顔をのぞかせている点が危うい。

 たとえば、専守防衛の理念を長く支えてきた基盤的防衛力構想を、「もはや有効でない」とはっきり否定した。

 集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の見直しや、武器輸出三原則の緩和なども求めている。

 また戦後、「国是」とされてきた非核三原則のうち、米国の核持ち込みの禁止について「必ずしも賢明ではない」と疑問を投げかけている。

 とりわけ見過ごせないのは、防衛力のあり方をめぐる方針転換である。

 防衛大綱は1976年に初めて策定されて以来、「脅威に直接対抗せず、自らが不安定要因にならないよう必要最小限度の防衛力を保有する」という抑制的な考え方を継承してきた。

 ところが報告書は一転して、脅威対抗型にかじを切るべきだとしている。

 なにが変わったのか。

 報告書は米国の軍事力の優越性にかげりが生じていることや中国の軍事力の近代化、北朝鮮の核・弾道ミサイル開発などをあげる。地域の不確実性が増す可能性には確かに注意が必要だ。

 しかし同時に、近隣諸国との相互依存はますます深まり、日米安保体制はより強化されてきた現実もある。日本周辺に、あたかも本格的な軍事侵攻を仕掛ける勢力がいるかのような指摘はバランスを欠いていないか。

 相手の脅威に応じた防衛力整備は、防衛費の増大ばかりか軍備競争や摩擦の拡大にもつながる。

 戦後一貫して、他国の脅威とならないとし、専守防衛を掲げてきたわが国の理念からも逸脱しかねない。

 それがアジア諸国の目にどう映るのか、いま一度考えてみる必要がある。

 安全保障問題は民主党政権の苦手分野といっていい。野党時代から、このテーマにきちんと向き合ってこなかった。沖縄の普天間移設問題の迷走一つを見ても、それは明らかだ。

 政治主導を掲げながら、大綱見直し作業を外部の有識者に丸投げしていたことも、その証左だろう。懇談会は、人選の理由や議論の中身についてさえほとんど明らかにしなかった。

 その報告書をもとに、政府は年末に向け新たな防衛大綱をつくる作業にはいる。適切な政治のグリップなしに大きな政策転換に突き進んでいいのか。

 時間をかけてもいい。作業の進め方そのものから見直すべきである。