「仏独の50年―不信を乗り越えた歩み」:鳩山由紀夫並み―朝日社説、仏独友好絶賛―
「仏独の50年―不信を乗り越えた歩み」:鳩山由紀夫並み―朝日社説、仏独友好絶賛―
「鳩山由紀夫並み―朝日社説、仏独友好絶賛―」より
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/37578730.html
日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心
鳩山由紀夫並み―朝日社説、仏独友好絶賛― 2012/10/8(月) 午後 8:54
「丸い卵も切り様で四角。物も言いようで角が立つ。」などと言う。
言いようを変えるだけで角が立つ/立たないが決まってしまうんだから、恣意的な事実のみをつなぎ合わせて「都合の良い”真実”」を現出させる何ざぁ朝飯前だ。
そんなことはジャーナリストには常識であり、真のジャーナリストならば厳に戒めるところだと、私は思うのだが、私なんぞとは宗教の違う朝日新聞は、そうは思わないらしい。
即ち、「恣意的な事実をつなぎ合わせて、都合の良い”真実”を現出」させて平気の平座らしい。まあ、予想通りではあるが。
【朝日社説】仏独の50年―不信を乗り越えた歩み 平成24/10/08(月)
(朝日社説全文引用は後記)
何都合の良いところだけつまみ食いしているんだ
さて、如何だろうか。
「言いたいこと」は明白であろう。「フランスとドイツは第2次大戦を戦ったが、戦後一貫して友好関係と信頼関係を築いた。東アジアも見習おう!」であり、
タイトルにもしたとおり「鳩山由紀夫の友愛の海構想」の同工異曲、と言うよりは、恐らく、同根であろう。
まっ先に、おおよそ常識のある人間ならば気づかなければならない事は(※1)、第2次大戦後の仏独友好の背景には冷戦があり、ソヴィエト連邦とワルシャワ条約機構と言う強大な共通の敵があったことだ。
分けてもドイツは東西に分割されて、西ドイツはフランス共々北大西洋条約機構の一員であり、東ドイツはワルシャワ条約機構軍にソ連に次ぐ陸上部隊を擁していた。
かつての首都ベルリンも東西に分割され、西ベルリンは東ドイツに包囲される陸の孤島故に「ベルリン封鎖=ベルリン危機」と言う戦争寸前に至る緊張状態も生じた。ソ連とワルシャワ条約機構は、フランスと西ドイツにとって、切実な共通の敵として存在したのだ(※2)。
少しでも歴史的知識があれば、仏独間の歴史に以下の諸点も想起されるだろう。
(1) フランス、ドイツ、イタリアは元はゲルマン人のフランク王国であった。
(2) フランスとドイツの間には、宗派の違いはあれどキリスト教という共通の基本宗教を持っている。
(3) フランスとドイツの戦争は第2次大戦ばかりではない。第1次大戦は無論のこと、普仏戦争をはじめとして中世どころかほとんど建国以来に遡れる長い戦争の歴史がある。端的に言って、仏独間は、既に飽きるくらいに戦争しているのだ。
1> シュタンツェル大使は
2> 「ブログに思い出を記した時、今の日本と中国のことが少し心に浮かんだ」と語る。
3> 半世紀にわたる仏独の歩みを、東アジアの現状を考える手本にしたい。
などと尤もらしい一文で朝日社説はしめるが、
①共通の強大な敵 ②共通の統一国家であった史実 ③共通の宗教/文化的基盤 ④数世紀に及ぶ長期の戦争
と言うその「仏独友好」を実現した要素のどれ一つとして東アジアにはない。
あえて探すならば、①共通の強大な敵 としての中国共産党政権があるぐらいである。
従って、東アジアが「仏独50年の歩み」を手本とするならば、なすべきことは対中国包囲網でしかありえない。
ありえないが・・・鳩山由紀夫の「友愛の海」と同様に、朝日社説が対中国包囲網を呼びかけているとはとても思えない。
やたら友好を吹聴する社説本文なのだから、なおさらだ。
故に言うのだ。この朝日社説は、鳩山由紀夫並みだ、と。
言うまでもなかろうが、当ブログで「鳩山由紀夫」と言うのは、大凡考えられる限り最大の悪罵であり、侮蔑である。
<注釈>(※1) それが、朝日新聞読者であろうとも
(※2) そのため、西ドイツは各シェアリングを実施し、一朝事があったら米軍から核兵器を借りてワルシャワ条約機構軍に戦術核爆弾を叩き込む準備をしていた、というのは「マニアックな知識」としても、だ。
朝日社説全文は以下
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【朝日社説】仏独の50年―不信を乗り越えた歩み
平成24/10/08(月)
「昨日の敵は今日の友」というが、フランスとドイツが築き上げた信頼と友情がこれほど長続きするとは、1世紀前の両国民はまったく想像できなかったのではなかろうか。
仏独協力条約(エリゼ条約)ができてやがて半世紀になる。
19世紀半ばからの100年近くの間に双方は3度も戦争をして、多くの犠牲者を出した。それが今では「欧州統合のエンジン」と呼ばれる関係だ。
きっかけは、1962年9月にドイツを訪れたドゴール大統領の演説である。アデナウアー西独首相との会談を前に、彼はドイツ語でこう語った。
「若者たちよ。偉大な国の子たちよ。両国民の連帯に息を吹き込むのは君たちの役割だ」
当時、14歳だったフォルカー・シュタンツェル少年は自宅のラジオで演説を聞いた。まだナチスへの敵意と憎しみが周辺国に色濃く残っていた時代だ。
「この国の人々と友人になることができるかな、と。その感激の気持ちは今でも忘れられない」。長じて外交官になり、いま駐日ドイツ大使として活躍するシュタンツェル氏は最近、自らのブログにそう記した。
少年を感激させた言葉は大きな成果をもたらした。
翌年1月に条約が調印されて以来、首脳や外相、国防相らの定期協議が続いてきた。隣国の家庭にホームステイし、言葉を学びあう。そんな交流事業を通じて若者たちが偏見を捨て、相互理解を進めたことも収穫だ。
注目したいのは、両国における戦争の記憶の変わりようだ。
コール西独首相とミッテラン仏大統領は1984年、両国の激戦地、フランスのベルダンで手をつなぎあって両大戦の犠牲者を追悼した。シュレーダー独首相とシラク仏大統領は2004年、連合軍のノルマンディー作戦の上陸地を訪れた。
犠牲者の追悼を、国家の枠組みにとどめず、痛ましい過去をともに省み、共通の未来を築く場とする。共通の歴史教科書を作り、テレビ番組を共同で制作する。こうした積み重ねによって、両国民は互いの不信を克服していったのだろう。
欧州統合の原点も仏独の不戦の誓いにある。資源の争奪が戦争の引き金にならないよう、両国は石炭や鉄鋼の共同管理を主導し、欧州の経済通貨統合も引っ張ってきた。
シュタンツェル大使は「ブログに思い出を記した時、今の日本と中国のことが少し心に浮かんだ」と語る。半世紀にわたる仏独の歩みを、東アジアの現状を考える手本にしたい。