朝日社説「週刊新潮―『騙された』ではすまぬ」:ごもっともだが当の朝日新聞がそのようにしていないのだから全く話にならない。

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独書録 April 18, 2009
週刊新潮―『騙された』ではすまぬ」のは朝日新聞の言う通りだが より

 朝日新聞の17日の社説は、「週刊新潮―『騙された』ではすまぬ」だ。

 週刊新潮朝日新聞襲撃事件の実行犯を名乗る男の手記が誤報であることを認めて謝罪した。それに対して朝日新聞は怒っているようだ。社説から抜粋する。

 「編集長が強調したのは「騙された」という被害者の立場である。これで、報道を任とする媒体の姿勢として納得を得られるものだろうか」

 「早川編集長は新聞などの個別取材に応じたが、取材者は1人、写真はなしなどという条件をつけた。言論機関の責任者としてなぜ記者会見で疑問に答えようとしないのか」

 「新潮社は『誤報を認める記事を載せたことで説明責任は果たした』として、これ以上の対処はしないという。取締役でもある早川氏は近く編集長を交代するが、誤報とは無関係という」

 確かにあの誤報はひどかった。4週にわたる週刊新潮のトップ記事がデタラメだったのだから。わしも普段は立ち読みなのに、この4冊はつい購読してしまった。

 報道機関として誤報に対する疑問には答える道義的義務があろう。朝日新聞の言うとおりだ。編集長が辞任するのであればはっきりと「責任を取った」形にすべきだろう。

 朝日新聞は次のように書く。

 「報道機関も間違いを報じることはある。だが、そうした事態には取材の過程や報道内容を検証し、訂正やおわびをためらわないのがあるべき姿だ。事実に対して常に謙虚で誠実であろうと努力をすること以外に、読者に信頼してもらう道はないからだ」

 正にその通りである。

 ところが当の朝日新聞がそのようにしていないのだから全く話にならない。

 たとえば、新聞各紙は、教科書検定で「侵略」を「進出」と書き直させた、という報道をした。その報道が中国や韓国に日本の教科書検定への内政干渉をもたらしてしまった。ところが、書き直しの事実はなかった。誤報であった。

 「訂正やおわびをためらわないのがあるべき姿」なのだが、実際に訂正しお詫びをしたのは産経新聞だけであった。朝日新聞などは、訂正・謝罪するどころか、問題の本質は教科書検定制度にある、と問題をすり替え、責任を転嫁した。報道機関にあるまじき態度である。その結果、国内でもいまだに事実と思っている人もいるし、中国や韓国では事実として扱われている。その責任は大きい。

 最近では、安倍・中川両氏がNHKの番組に政治的圧力を加えたという報道があった。朝日新聞は「中川昭一氏が放送前日にNHK幹部に会った」事の裏が取れなかったことは認めたが、誤報ではないと言い切った。

 裏を取らずに、事実ではないことを報道したのであるから、世間ではこれを誤報という。誤報ではないと開き直る分だけ、週刊新潮よりも悪質だ。

 他にもある。

 2007年に朝日新聞は、沖縄の県民集会に「11万人」が参加したと1面の見出しに入れて報道した。ところが実際の参加者は4万人以下、2万人にもみたなかった。ところが朝日新聞は主催者の発表をそのまま報じただけ、と開き直っている。参加者数の多さが国政(教科書検定)に影響をもたらしてしまったというのに。

 なお、沖縄の集団自決を、日本軍が強制したというのだが、事実に反するというのが最近の研究で明らかになった。

 もっとある。

 本多勝一の「中国の旅」のキャンペーン記事で、朝日新聞は「南京大虐殺」を事実であるかのように報道している。本多は、中国人に取材(インタビュー)したことをそのまま書いた、という趣旨の発言をしている。中国のプロパガンダの垂れ流しに過ぎない。誤報というより捏造報道だ。本多勝一の本「中国の旅」も朝日新聞から出版され続けている。

 朝日新聞は、韓国の「従軍慰安婦」キャンペーンも行った。元になった吉田清治の本『私の戦争犯罪朝鮮人連行−』が事実無根であったことが判明している。著者自身が認めたのだ。しかし朝日新聞は訂正も謝罪もしていない。国際問題になってしまったにもかかわらずだ。そしていまだに社説などで事実として扱っている。

 「事実に対して常に謙虚で誠実であろうと努力をすること以外に、読者に信頼してもらう道はないからだ」。朝h時新聞こそその言葉を実践すべきであろう。信頼などどうの昔に失われている。