『天安門20年―政治改革してこそ大国だ』:普段の中国絶賛を棚に上げて、形ばかりの批判をしたふりをする朝日社説

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のんきな日本人:2009年6月 5日 (金)
アサヒと天安門事件
よせばいいのにアサヒの社説なんか読んだら頭が痛くなってきた…。

天安門20年―政治改革してこそ大国だ
http://www.asahi.com/paper/editorial20090603.html#Edit1
(朝日者引用略)

アサヒは「軍隊は国民を守らない!」などと旧日本軍や自衛隊に失礼極まりないことを言い放っていますが、そういうセリフは人民解放軍にでも言ってやればよろしい。

国家の軍隊ではなく中国共産党の私兵にすぎない人民解放軍は、国民を守るために存在するのではなく、中国共産党を守るために存在するのであって、人民を弾圧するのが本来の仕事なのであり、そのことを実証してみせたのが天安門事件なのです。

アサヒ新聞は、南京大虐殺などといって日本軍が中国人民を虐殺したと大喜びで喚いているが、この社説を読んでも中国人民を弾圧した中国共産党人民解放軍に対する厳しい批判は見当たらない。

むしろ、他人事のように「世界は大きな衝撃を受けた」などというだけであって、その世界の中にアサヒ新聞は含まれていないようだ。

続けて、中国は急成長してもうすぐ日本を追い越すとか、ペロシも中国批判はしなくなったとか、経済や地球温暖化問題等で中国の関与が欠かせないなどといっているのは、これだけの経済大国で影響力のある中国はペロシも批判しなくなったのであって、日本もいい加減に天安門批判をするのはやめろとでも言いたいかのようだ。

>>中国への配慮から、内政への批判や苦言を控える雰囲気があるとすれば極めて残念だ。

厚顔無恥という言葉は朝日新聞のためにあるのではないかと思えるセリフだ。

言うまでもないことだが、中国への配慮から、内政への批判や苦言を控えているのは他ならぬアサヒ新聞ではないのか。

>>20年前、大学生の中で党員は1%にも満たなかった。今では8%以上だという。
>>党内に取りこんで、党や政府に対する批判があればどんどん出してもらう。けれど発言は党内に限られ、外での批判は許されない。
>>留学生の派遣や人事で党員を優遇する。指導部のブレーンにも若手を登用し、優秀な才能をつなぎとめている。
>>若者の多くも大国、富国に導いてくれた党に敬意を払う。天安門事件についてはまず知らない。
>>大規模な民主化運動は当面起きそうにもない、というのが中国の今の空気だ。

要するに、中国共産党の党員という独裁者の仲間入りをする若者が増えているというだけではないのかね。

独裁者が民を搾取する中華人民共和国において、党員が増えれば増えるほど民が苦しむことになるのではないのか。

>>党と行政、企業が一体であるという体制に20年間、大きな変化はない。

●軍と党、行政、企業が一体なのでしょ。なぜ軍を書かないのかね。

中国が軍事独裁国家であることを十分に知っていながらアサヒがそれを報道しないのは、何かにつけて軍事に反対しておきながら、軍事独裁国家である中国を擁護する矛盾を批判されたくないからでしょう。

ミャンマーには、軍事政権にはODAを見直せだなんだかんだと喚き散らして、同じく軍事政権の中国様には日中友好!などと絶叫しているのだから、腐っているとしか思えませんな。

>>政治改革はいずれ避けて通れない。苦痛が伴うだろうが、品格ある調和のとれた隣国に脱皮することを願う。

軍事独裁国家が政治改革を実行して民主主義国家にでもなると思っているのですかね(笑)。

朝日社説全文は以下
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 学生らによる民主化要求運動を中国当局が武力で鎮圧した、あの天安門事件から明日で20年になる。

 流血の惨事に世界は大きな衝撃を受けた。事件で孤立した中国の前途を危ぶむ見方は少なくなかった。

 しかし曲折を経ながらも、中国は経済成長を続け、日本を抜いて遠からず世界第2位の大国になる勢いだ。

 折からの世界同時不況のなか、中国の成長力への期待はふくらむばかりだ。その半面、中国の民主化への世界の関心は薄れてしまったようだ。

 米国のペロシ下院議長は、中国の人権状況をこっぴどく批判してきた。91年に訪中した時には、天安門広場中国当局への抗議活動をした。そのペロシ氏が先月下旬の訪中時には、温暖化対策が重要なテーマだとして、人権もチベットにも踏み込まなかった。

 経済や地球温暖化だけでなく、北朝鮮の核問題など中国の関与が欠かせない問題が増え続ける。中国への配慮から、内政への批判や苦言を控える雰囲気があるとすれば極めて残念だ。

 ソ連崩壊や東欧の民主化の轍(てつ)を踏まず、延命を図りたい中国共産党も、独自の改革を進めてきた。

 その柱が、歴史的に民主化や反政府活動を担ってきた若者への対策だ。

 20年前、大学生の中で党員は1%にも満たなかった。今では8%以上だという。党内に取りこんで、党や政府に対する批判があればどんどん出してもらう。けれど発言は党内に限られ、外での批判は許されない。

 留学生の派遣や人事で党員を優遇する。指導部のブレーンにも若手を登用し、優秀な才能をつなぎとめている。

 若者の多くも大国、富国に導いてくれた党に敬意を払う。天安門事件についてはまず知らない。大規模な民主化運動は当面起きそうにもない、というのが中国の今の空気だ。

 党と行政、企業が一体であるという体制に20年間、大きな変化はない。

 党幹部とコネがある者が私腹を肥やすという構造は今も根をはる。13億の人口に対して党員は7400万余り。多くの国民は利権からは遠いところで暮らし、格差は広がる。

 天安門事件で失脚し、05年に亡くなった趙紫陽・元党総書記の回想録が最近、出版された。そのなかで趙氏は議会制民主主義を提唱している。民主主義がなければ、法治社会は実現しないし、社会は腐敗すると予言した。

 農地や住宅の強制収用、出稼ぎ労働者への賃金不払いや虐待と、現実は法治からはほど遠い。人権を守ろうとする弁護士に対して、免許更新を拒んでいるとの報告もある。「超大国」の実情としてはあまりにも悲しいことだ。

 政治改革はいずれ避けて通れない。苦痛が伴うだろうが、品格ある調和のとれた隣国に脱皮することを願う。