アメリカではなく日本が原爆を落としたかのようにいう朝日社説(怒)

2009年8月10日(月曜日)付 朝日新聞社
■広島 長崎 沖縄―平和のジレンマ解く道を
・「非核」対「抑止」
被爆地という公共財
・理念と現実を結ぶ
http://www.asahi.com/paper/editorial20090810.html

594 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 05:27:18 id:NrsZLSxR0
攻撃ミサイルに反対するのはわかるんだが
迎撃ミサイルに反対する理由がわからん

595 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 05:33:57 id:NrsZLSxR0
というか、核の傘なくしたら余計、朝日が大好きな9条が
ますます廃止の方向に向かう気するけどなあ

598 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 07:22:31 id:twqTNQJo0
>>594
パトリオット3の迎撃射程では基地しか守れないから、
THAAD(高高度広域防衛システム)のほうがいいね

599 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 07:24:56 ID:l+/JXU5F0
■広島 長崎 沖縄―平和のジレンマ解く道を

>片方の手で核兵器の非人道性を訴え、もう一方の手で米国の「核の傘」を求めるという
>ジレンマを、戦後の私たちは生きてきた。

核の傘」を求めるなどと軽々しく言ってくれるが、これは元々アメリカ合衆国が「提供する」と
言い始めた事だ。中華人民共和国核武装をした折り、
時の首相佐藤栄作が「我が内閣にも日本核武装論がある」とアメリカ合衆国にねじ込んだところ、
日本を核武装国にしたくないアメリカ合衆国が「核の傘」云々と言い始めたのが始まりだ。
ちなみにこの時佐藤首相が核武装をしなかった事で、
佐藤首相と日本国に対する論功行賞としてアメリカ合衆国ノーベル平和賞に推したとの話もある。
つまり我々がジレンマを感じる必要はない。

ジレンマを感じるべきはむしろアメリカ合衆国だ。
日本の対核兵器対策は我々に任せろ、と言っておきながら、

>戦後は「核の傘」を提供してきた当の国から発せられた「時代の変化」の宣言だった。

「時代は変化した『核のない世界だ』」などという無責任な話が通じるわけがない。

核廃絶と核抑止のはざまで身動きがとれなくなっている被爆国日本へのメッセージと受け止めることができる。

身動きなどいくらでもできているぞ。
被爆国日本などと一括りにしているが、核廃絶を主張する日本人と、核抑止を主張する日本人は別人だ。
前者は広島の秋葉市長に代表される集団であり、後者は田母神さんに代表される集団だ。
共通するのは「日本人を3度目の核虐殺の被害者にしてはならない」「アメリカ合衆国の核をあてにはできない」程度だ。
全く同じ日本人が同じ口で「核廃絶」と「核抑止」を同時に語っているわけではない。

600 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 07:25:42 ID:l+/JXU5F0
核兵器の話をしていたと思ったら唐突に沖縄の話である。

>そんな極度の軍事的緊張にさらされ続けてきたにもかかわらず、非暴力、非戦を貫く沖縄の人々の脈々たる思いは、
>今も生き続けている。
>それを象徴したのが、北朝鮮が核実験を強行した3年前に、沖縄の人々が見せた反応だった。
>「ミサイルは基地を守るだけだ。軍備が住民を守らないことを沖縄は知っている」。当時、運動にかかわった人はこう話した。

「沖縄の人々」という表現は不適当だろう。「沖縄本島の人々」と書くべきだ。
沖縄県沖縄本島以外の人々は必ずしも「非暴力」だの「非戦」だの言ってはいない。
何しろ中華人民共和国の脅威を直接感じているのだから。
ただアメリカ軍のパトリオット3が「米軍基地自身を守るため」というのは当たっているだろう。

>軍事力に軍事力をもって対抗することは必ずしも平和を保障しないことを、沖縄の人々は肌身で知っている。
>この思いと通底するように、核対核による抑止では平和も安全も守れないことに、世界は気づき始めた。

「必ずしも平和を保障しない」とは正直な書き方じゃないか。『平和を保障しない』と断定的に書かないところに正直さがある。
現にチベットでは中華人民共和国の軍事侵略に対抗する軍事力がチベットになかったばかりに、
チベット中華人民共和国の植民地にされ120万人ものチベット人が虐殺された凄惨な事実があるのだ。
ところがこの正直さが次の瞬間失われる。
「核対核による抑止では平和も安全も守れない」なんですか?この断定的な書き方は?
『核対核による抑止では平和や安全を必ずしも守れない』と書くべきだろう。
『必ずしも』がつくかつかないかは重要で、つけば「完全ではないが守れる部分がある」という意味になる。

601 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 07:26:27 ID:l+/JXU5F0
>だからといって、「核の傘」の強化に力を注いだり、ましてや核武装論を叫んだりするようなことは、
>「核には核を」という負の連鎖を自ら作り上げることにほかならない。

言っておきたいが「核の傘」は虚構である。フィクションである。
それに対抗するのが「核武装論」であるからして2つを一括りにするべきではない。

だいたい「核には核を」がダメだというなら、核には何を、ならいいのか?

>平和を求める理念を鍛え、ねばり強い外交交渉で現実を切り開き、一歩ずつ、まずは自国周辺に前向きの潮流を生み出す。
>決して不可能なことではないはずだ。それには、広島、長崎、沖縄の地から発した日本人の自然な民意が、最大の支えとなる。

「核にはねばり強い外交交渉」か?外交交渉なら駆け引きが重要だ。
佐藤栄作首相が日本の核武装についてアメリカ合衆国首脳に言ってみせたら「核の傘を提供する」とアメリカ合衆国が言い始めた。
こういうのが
>国際社会の現実を見据えた外交の知恵が結びついた時、被爆国日本の本当の力が生まれる。
ではないのか?

だとするなら「ましてや核武装論を叫んだりするようなこと」まで、負の連鎖として取り締まろうとする朝日新聞は、
存在するだけで「外交の知恵」を台無しにする存在である。
オバマ激賞!そして核兵器廃絶の実現を!』今日の社説はこれぞ典型的底なしのバカ社説。
8月6日に誉めて損したよ。


602 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 07:40:13 id:q3zR/CEC0
>■広島 長崎 沖縄―平和のジレンマ解く道を

社説氏の平和思想はほとんど田嶋陽子社民党と同じ。
根底にはガンジーのような非暴力主義がある。
当時彼が対峙したのは民主主義のイギリス。一方日本の場合は
中国・北朝鮮のような全体主義・恐怖政治の国を相手にする。
非暴力主義が通用するか。

603 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 07:58:45 id:ssxDc3ri0
そして再び核攻撃を被った時には

「日本外交の失敗である!」てか?

あほか。

604 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 08:40:42 id:VZF17Ln8O
ヒロシマナガサキを神聖視してるカタガタは、チェルノブイリ
スリーマイルの事をどれだけ知っているのだろう、とふと疑問に思った

607 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 10:38:05 id:ImBCbePj0
中国と北朝鮮が一方的に日本ののど元に核ミサイルを突きつけ合っている
生々しい現実は見てみぬふりをして、日本はとにかく通常兵器や迎撃ミサイルも
含めてまったくの丸腰でいろと今日のアサヒの社説子は言ってます。ひでえなあ。

608 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 11:56:08 id:KxHy4uN60
■広島 長崎 沖縄―平和のジレンマ解く道を

>二度とこの惨禍を繰り返してはならない、そう日本人は魂の奥底に刻んだ。

繰り返してはならないだぁ? はぁ?  日本人は魂の奥底に刻んだぁ? はぁ??
原爆を落としたのは日本人じゃねーだろよ?
原爆を落として広島・長崎の非戦闘員30万人を虐殺したのはアメリカだろが!!!
史上最悪の戦争犯罪・核爆弾投下の惨禍を仕出かしたのはアメリカだろが!!!!
なんで、日本人が、、惨禍を繰り返しちゃなんねーと心に刻み込まにゃあならんのよ?ぇ?
心に刻み込むのはアメ人だろ? 朝日はアメリカを非難しろって。
糞新聞朝日は、虐殺国アメリカに謝罪を求めろや。

609 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 12:40:25 id:mPcykB0CO
日本国内では軍縮核廃絶を唱えながら中国の軍拡や核兵器に堂々もの申さない朝日のジレンマ

>広島、長崎、沖縄の地から発した日本人の自然な民意が最大の支えとなる
ダイインとか人数詐称の気持ち悪いデモなんて「民意」じゃねえよアホ

しかし朝日ってほんとにチープな感情論が好きだな
理論より感情に訴える方がバカな日本人に有効だと思ってるんだろうが

610 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 13:08:07 id:y18xh+9+0
■広島 長崎 沖縄―平和のジレンマ解く道を

>冷戦期の1960年代に配備されていた中距離核弾頭ミサイル「メースB」発射基地の跡である。 (略)
>今は宗教法人の施設となっているコンクリートの塊は、

いや本来は別にいいんだけどねどこの宗教法人だろうとねだけどその法人ってのは現連立与t(ry

>軍事力に軍事力をもって対抗することは必ずしも平和を保障しないことを、沖縄の人々は肌身で知っている。

でも当時としては充分グローバルかつ狡猾だった琉球王朝だって
最後には明治政府の軍事力も含めた力によって圧殺されたのも事実なわけで
まあ尚泰王や住民達も虐殺とかされたわけじゃないから平和っちゃ平和なんだろうけど

そもそも琉球王朝の非暴力非戦ってのは「その代わり諜報策略陰謀全開」ってだけで
決して無防備マン的能天気平和思想によるものではないんだが

にしても秋葉の奴長崎までしゃしゃり出てウザい
そんなにオバマ好きならアメリカさんちの子になっちゃいなさいって思うわ


613 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 14:58:40 id:y18xh+9+0
その年のノーベル平和賞受賞者のいる国に朝日新聞を差し上げるということで
団体の場合はその団体専属の報道機関ということにして

数年後にはノーベル平和賞は日本からしか出なくなりそうだなオイwww

614 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 15:42:07 id:ImBCbePj0
その年の世界一の売国奴に、ノーベル朝日賞をあげられないだろうか。

615 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 16:05:21 id:op5BWA680
>>614
せめて朝日平和賞と命名したまえw
ノーベルさんに泥はねちゃダメ!

616 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 16:07:55 id:bVxFxwRU0
朝日平和賞って既にありそうなネーミングだな

617 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 16:26:59 id:lfgXj8TX0
今からでも遅くない、反朝日の愛国者よ、揃って自衛隊に入隊しよう。
621 :文責・名無しさん:2009/08/10(月) 21:17:58 id:TmEeJffP0
>「ミサイルは基地を守るだけだ。
>軍備が住民を守らないことを沖縄は知っている」。

どこの卑しいテロリストの言い分だろうな。
これを社説で自分の論理を正当化する材料として使用するって、どこの卑しいテロリストの支援者だろうな。
日本の核装備に反対するというのであれば、その発想はそれなりに理解できるが。

あと、オバマはテロリストの味方じゃないからな。
それくらい馬鹿でもわかると思うが。
もしかして、マイノリティーで民主だからお仲間だと考えているのか?

朝日社説全文は以下
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広島 長崎 沖縄―平和のジレンマ解く道を 
コバルト色東シナ海を望む沖縄県恩納村の海岸近くに、複数のトンネルを横に並べたような巨大建造物が立っている。冷戦期の1960年代に配備されていた中距離核弾頭ミサイル「メースB」発射基地の跡である。

 全長13メートルの核ミサイルは、広島型原爆並みの威力を持っていたとされる。今は宗教法人の施設となっているコンクリートの塊は、東西両陣営がお互いののど元に核ミサイルを突きつけ合っていた生々しい現実を、21世紀の今も見せつけている。復帰前の沖縄とはいえ、この列島に核ミサイル基地が存在していたという事実は、戦後日本の核をめぐる宿命を象徴している。

 「炭のように体を焼かれ、一口の水も飲むこともできずに亡くなった多くの人々よ」。9日の原爆の日、長崎の式典で被爆者の代表は語りかけた。

 64年前の夏、広島、長崎の上空で核爆弾が炸裂(さくれつ)し、数十万の命が一瞬に、そして長い年月にわたって奪われた。二度とこの惨禍を繰り返してはならない、そう日本人は魂の奥底に刻んだ。

■「非核」対「抑止」

 この国民感情が「非核三原則」を生み、核廃絶の理念を訴え続ける行動となって表れた。

 だが、一方で戦後日本は、米国の核兵器による抑止力に依存することで、自国の安全を保障する道を選ぶ。片方の手で核兵器の非人道性を訴え、もう一方の手で米国の「核の傘」を求めるというジレンマを、戦後の私たちは生きてきた。

 この「使い分け」は、様々な齟齬(そご)をきたすこととなった。日米安保改定や沖縄返還時の「核密約」も、そのひとつだ。国際政治の場でも、90年代から毎年、国連総会で核廃絶決議を提案する一方で、核の先制不使用宣言には消極的な姿勢を見せるなど、煮え切らない態度を取り続けてきた。

 だが、この宿命的なジレンマを乗り越えられるかもしれない大きな転機が、訪れようとしている。

 秋葉忠利広島市長は6日、「核兵器廃絶のために活動する責任」を訴えた。「核兵器を使った唯一の国としての道義的責任」を語ったオバマ米大統領プラハ演説に応えるかのように、「被爆国の責任」をあえて強調した。

 グローバル化した世界では、「核のない世界」を目指す方が現実的な安全保障になりうる――。オバマ演説は、日本に核兵器を投下し、戦後は「核の傘」を提供してきた当の国から発せられた「時代の変化」の宣言だった。核廃絶と核抑止のはざまで身動きがとれなくなっている被爆国日本へのメッセージと受け止めることができる。

被爆地という公共財

 核兵器がいかに非人間的な兵器であるか、その実相を発信し続けることは、被爆地にしかできない。核廃絶を目指す世界的な連帯を広げるには、被爆体験は絶大な力となる。広島、長崎の負の遺産は、一方で「核なき世界」の実現に向けて大きな力となる「国際公共財」だと考えよう。

 沖縄の体験も、改めて見つめ直したい。64年前、凄惨(せいさん)な地上戦に巻き込まれた沖縄は戦後、核の傘の「柄」の1本の役割を課せられただけでなく、ベトナムや中東への米軍の出撃拠点となり、今、北朝鮮をめぐる危機に向き合う。そんな極度の軍事的緊張にさらされ続けてきたにもかかわらず、非暴力、非戦を貫く沖縄の人々の脈々たる思いは、今も生き続けている。

 それを象徴したのが、北朝鮮が核実験を強行した3年前に、沖縄の人々が見せた反応だった。ミサイル防衛のための兵器、パトリオット3を米軍が沖縄へ持ち込もうとした際、住民団体が港で座り込みをして反対をしたのだ。

 「むしろ沖縄の人は喜んでもらいたい」という当時の久間防衛庁長官の言葉がさらに反発を招き、地元首長たちも反対を表明した。「ミサイルは基地を守るだけだ。軍備が住民を守らないことを沖縄は知っている」。当時、運動にかかわった人はこう話した。

■理念と現実を結ぶ

 軍事力に軍事力をもって対抗することは必ずしも平和を保障しないことを、沖縄の人々は肌身で知っている。この思いと通底するように、核対核による抑止では平和も安全も守れないことに、世界は気づき始めた。

 すれ違うばかりだった理念と現実、平和を祈る思いと政治の論理を、同じ地平に上げるべき時ではなかろうか。ヒロシマナガサキという国際公共財、そしてオキナワの体験。これらの「財産」を、核をめぐる政策論議に生かす道を考えたい。

 道は決して平坦(へいたん)ではないし、確かなゴールも見えない。朝鮮半島には冷戦の残滓(ざんし)があり、北の核開発という現実の脅威が迫る。だからといって、「核の傘」の強化に力を注いだり、ましてや核武装論を叫んだりするようなことは、「核には核を」という負の連鎖を自ら作り上げることにほかならない。

 平和を求める理念を鍛え、ねばり強い外交交渉で現実を切り開き、一歩ずつ、まずは自国周辺に前向きの潮流を生み出す。決して不可能なことではないはずだ。それには、広島、長崎、沖縄の地から発した日本人の自然な民意が、最大の支えとなる。

 平和を希求する市民の心性と、国際社会の現実を見据えた外交の知恵が結びついた時、被爆国日本の本当の力が生まれる。