『広島 長崎 沖縄―平和のジレンマ解く道を』:沖縄を広島 長崎と無理やり同列に扱う朝日社説

http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20090810/1249893440
酔っ払いのうわごと
沖縄戦を世界が知っているのだろうか

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広島 長崎 沖縄―平和のジレンマ解く道を
(cache) asahi.com朝日新聞社):社説 2009年8月10日(月)
http://s03.megalodon.jp/2009-0810-1339-58/www.asahi.com/paper/editorial20090810.html
被爆地という公共財
 核兵器がいかに非人間的な兵器であるか、その実相を発信し続けることは、被爆地にしかできない。核廃絶を目指す世界的な連帯を広げるには、被爆体験は絶大な力となる。広島、長崎の負の遺産は、一方で「核なき世界」の実現に向けて大きな力となる
●「国際公共財」だと考えよう。
●沖縄の体験も、改めて見つめ直したい。
64年前、凄惨(せいさん)な地上戦に巻き込まれた沖縄は戦後、核の傘の「柄」の1本の役割を課せられただけでなく、ベトナムや中東への米軍の出撃拠点となり、今、北朝鮮をめぐる危機に向き合う。そんな極度の軍事的緊張にさらされ続けてきたにもかかわらず、非暴力、非戦を貫く沖縄の人々の脈々たる思いは、今も生き続けている。

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広島の原爆ドーム世界遺産になっている事からも長崎と共に被爆地を『国際公共財』に、と云うのは一つの考えだと思います。この事自体で朝日新聞を批判する積もりはありません。しかし、広島、長崎と沖縄を同列に並べるのには違和感を感じざるを得ません。

そもそも、沖縄戦の事を知っている人は、世界にどれくらいいるのでしょうか。沖縄を攻撃したアメリからして「太平洋戦争」の中の一コマくらいにしか思っていないような気がします。硫黄島を攻略した証である星条旗を立てる写真は有名ですし、映画も作られましたけれど、沖縄戦のハリウッド映画など聞いた事がありません。激戦と言われた「シュガーローフの戦い」の死傷者も「硫黄島の戦い」とは比べ物になりませんし印象は強くないと思います。ました他の国々は推して知るべきです。

沖縄戦の特徴の一つとして、集団自殺があります。日本のサヨクは、これは日本軍に強制された特異な物としたいようですけれど、外国からみれば、どうなのでしょうか。民間人の集団自殺は、サイパンバンザイクリフやスーサイドクリフのように日本人は色々な場所で行っていますから、沖縄戦だけを特別視するとは私には思えないのです。ちょっと前までは日本人と言えば「ハラキリ」と言われたくらいなのですから日本人なら当然と思われるかも知れません。

民間人の被害も犠牲者数だけで云えば沖縄戦が9万4000人とされるのに対し、東京大空襲は10万人以上と言われています。日本の家屋が燃えやすい事を知った上で焼夷弾を使用するなど、計画の残虐性から言えば東京大空襲こそ世界に訴えるべきだと私は考えます。もっとも、東京大空襲は、加害者が日本軍ではありませんから、サヨクの皆様からは長い間無視されていましたから今更なのかも知れませんけれど(Wikipedia:沖縄戦Wikipedia:東京大空襲)。

しかし、朝日新聞も沖縄を神聖視するあまりなのでしょうけれど、これは酷すぎます。

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 それを象徴したのが、北朝鮮が核実験を強行した3年前に、沖縄の人々が見せた反応だった。ミサイル防衛のための兵器、パトリオット3を米軍が沖縄へ持ち込もうとした際、
住民団体が港で座り込みをして反対 をしたのだ

 「むしろ沖縄の人は喜んでもらいたい」という当時の久間防衛庁長官の言葉がさらに反発を招き、地元首長たちも反対を表明した。「ミサイルは基地を守るだけだ。軍備が住民を守らないことを沖縄は知っている」。当時、運動にかかわった人はこう話した。

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それは『運動にかかわった人』なら格好の良い事も言うでしょう。しかし、沖縄の一般市民も同じように
●『軍備が住民を守らないことを沖縄は知っている』
と考えているのでしょうか。当時の様子を伝える報道が残っていました。

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「軍事要塞化」危ぐ 市民団体座り込み - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-17887-storytopic-1.html
 桟橋前には、午後9時前から「パトリオット配備阻止」「機能強化反対」と書いたプラカードを掲げた市民運動団体が集結。次第に数を増し、抗議行動が始まった同日午後10時半すぎには、
●20を超す市民団体が集結、150人を超すまでに膨らんだ。

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抗議の“壁”動かず にらみ合い続く パトリオットミサイル阻止 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-17915-storytopic-1.html
 9日午前に接岸した米軍パトリオット・ミサイル本体の搬入作業を阻止しようと、うるま市の米軍施設・天願桟橋ゲート前で8日から座り込みを始めた市民団体メンバーと現場を見守る米兵らとのにらみ合いが10日午前も続いている。
 北朝鮮の地下核実験が報じられる中、座り込むメンバーは「沖縄がミサイル戦争に巻き込まれる」と阻止への決意を一層強くし、那覇防衛施設局職員からの五度の説得にも応じず、現場の緊張感は高まっている。 
●市民団体メンバー約50人は
10日午前7時40分、貨物船に向かって「パトリオットアメリカに持ち帰れ」などとシュプレヒコールを繰り返した。集会で沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は21日に「パトリオット・ミサイル配備反対県民大会」を沖縄市内で開くことを報告、協力を呼び掛けた。

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どう考えても極少数です。もっとも実際に座り込みに参加するのは大変ですから潜在的な反対者は、もっと多いのかも知れません。それでは住民が集まりやすい日を選んだと思われる21日の「パトリオット・ミサイル配備反対県民大会」は、どうなのでしょうか。

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パトリオット反対で集会/沖縄、強行配備に抗議―四国新聞
http://news.shikoku-np.co.jp/national/social/200610/20061021000263.htm
 在日米軍による地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の米軍嘉手納基地・嘉手納弾薬庫地区(沖縄県沖縄市など)への強行配備に抗議する県民大会が21日、同市の運動公園で開かれた。
  ●平和運動団体や労働組合のメンバーら1200人(主催者発表)が参加し
「沖縄の軍事機能強化は許さないぞ」と、怒りの拳を突き上げた。

 沖縄市東門美津子市長は「多くの市民が怒りを表しているのに米軍は(PAC3を)強行搬送した」と批判。
 大会では「核実験を強行した北朝鮮政府は許せないが、米国の戦争に沖縄が巻き込まれることは断固として拒否する」とする決議が採択された。
 在日米軍は今月11日、沖縄県警の機動隊が反対派グループを排除する中、ミサイル本体を沖縄に搬入した。

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主催者発表でも1200人に過ぎませんでした。教科書検定への抗議集会が主催者発表で「11万人」(実数は2万人と推定)だったのに比べるとしたら、どうでしょうか。私は、比べる意味も無い数字だと思います。

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 軍事力に軍事力をもって対抗することは必ずしも平和を保障しないことを、沖縄の人々は肌身で知っている。この思いと通底するように、核対核による抑止では平和も安全も守れないことに、世界は気づき始めた。

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『肌身で知っている』のなら、もっと沢山の人が集まっても良いはずです。やはりパトリオットがあった方が安心だと考えている人が多いから、集会に人が集まらないのではないのでしょうか。私には、沿うとしか思えません。沖縄でさえ、そうなのですから『核対核による抑止では平和も安全も守れないことに、世界が気づき始めた』というのも怪しい物です。私は、依然として核による抑止を信奉している人が世界では多数だと思います。朝日新聞核廃絶を語るのであれば、そのプロセスを一緒に語って下さい。少なくとも、このような笑い話にもならない物では無く。

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 平和を求める理念を鍛え、ねばり強い外交交渉で現実を切り開き、一歩ずつ、まずは自国周辺に前向きの潮流を生み出す。決して不可能なことではないはずだ。それには、広島、長崎、沖縄の地から発した日本人の自然な民意が、最大の支えとなる。

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要するに朝日新聞は、日本の政治家に靖国神社に参拝したりせず、求められるままに賠償金を払うなど、相手の言う事に逆らわない土下座外交をしろと言いたいのでしょう。そうすれば『前向きの潮流』が生まれると。何処まで売国なのでしょうか。本当に朝日新聞の媚特アには、反吐が出ます。



社説全文は以下

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広島 長崎 沖縄―平和のジレンマ解く道を

 コバルト色東シナ海を望む沖縄県恩納村の海岸近くに、複数のトンネルを横に並べたような巨大建造物が立っている。冷戦期の1960年代に配備されていた中距離核弾頭ミサイル「メースB」発射基地の跡である。

 全長13メートルの核ミサイルは、広島型原爆並みの威力を持っていたとされる。今は宗教法人の施設となっているコンクリートの塊は、東西両陣営がお互いののど元に核ミサイルを突きつけ合っていた生々しい現実を、21世紀の今も見せつけている。復帰前の沖縄とはいえ、この列島に核ミサイル基地が存在していたという事実は、戦後日本の核をめぐる宿命を象徴している。

 「炭のように体を焼かれ、一口の水も飲むこともできずに亡くなった多くの人々よ」。9日の原爆の日、長崎の式典で被爆者の代表は語りかけた。

 64年前の夏、広島、長崎の上空で核爆弾が炸裂(さくれつ)し、数十万の命が一瞬に、そして長い年月にわたって奪われた。二度とこの惨禍を繰り返してはならない、そう日本人は魂の奥底に刻んだ。

■「非核」対「抑止」

 この国民感情が「非核三原則」を生み、核廃絶の理念を訴え続ける行動となって表れた。

 だが、一方で戦後日本は、米国の核兵器による抑止力に依存することで、自国の安全を保障する道を選ぶ。片方の手で核兵器の非人道性を訴え、もう一方の手で米国の「核の傘」を求めるというジレンマを、戦後の私たちは生きてきた。

 この「使い分け」は、様々な齟齬(そご)をきたすこととなった。日米安保改定や沖縄返還時の「核密約」も、そのひとつだ。国際政治の場でも、90年代から毎年、国連総会で核廃絶決議を提案する一方で、核の先制不使用宣言には消極的な姿勢を見せるなど、煮え切らない態度を取り続けてきた。

 だが、この宿命的なジレンマを乗り越えられるかもしれない大きな転機が、訪れようとしている。

 秋葉忠利広島市長は6日、「核兵器廃絶のために活動する責任」を訴えた。「核兵器を使った唯一の国としての道義的責任」を語ったオバマ米大統領プラハ演説に応えるかのように、「被爆国の責任」をあえて強調した。

 グローバル化した世界では、「核のない世界」を目指す方が現実的な安全保障になりうる――。オバマ演説は、日本に核兵器を投下し、戦後は「核の傘」を提供してきた当の国から発せられた「時代の変化」の宣言だった。核廃絶と核抑止のはざまで身動きがとれなくなっている被爆国日本へのメッセージと受け止めることができる。

被爆地という公共財

 核兵器がいかに非人間的な兵器であるか、その実相を発信し続けることは、被爆地にしかできない。核廃絶を目指す世界的な連帯を広げるには、被爆体験は絶大な力となる。広島、長崎の負の遺産は、一方で「核なき世界」の実現に向けて大きな力となる「国際公共財」だと考えよう。

 沖縄の体験も、改めて見つめ直したい。64年前、凄惨(せいさん)な地上戦に巻き込まれた沖縄は戦後、核の傘の「柄」の1本の役割を課せられただけでなく、ベトナムや中東への米軍の出撃拠点となり、今、北朝鮮をめぐる危機に向き合う。そんな極度の軍事的緊張にさらされ続けてきたにもかかわらず、非暴力、非戦を貫く沖縄の人々の脈々たる思いは、今も生き続けている。

 それを象徴したのが、北朝鮮が核実験を強行した3年前に、沖縄の人々が見せた反応だった。ミサイル防衛のための兵器、パトリオット3を米軍が沖縄へ持ち込もうとした際、住民団体が港で座り込みをして反対をしたのだ。

 「むしろ沖縄の人は喜んでもらいたい」という当時の久間防衛庁長官の言葉がさらに反発を招き、地元首長たちも反対を表明した。「ミサイルは基地を守るだけだ。軍備が住民を守らないことを沖縄は知っている」。当時、運動にかかわった人はこう話した。

■理念と現実を結ぶ

 軍事力に軍事力をもって対抗することは必ずしも平和を保障しないことを、沖縄の人々は肌身で知っている。この思いと通底するように、核対核による抑止では平和も安全も守れないことに、世界は気づき始めた。

 すれ違うばかりだった理念と現実、平和を祈る思いと政治の論理を、同じ地平に上げるべき時ではなかろうか。ヒロシマナガサキという国際公共財、そしてオキナワの体験。これらの「財産」を、核をめぐる政策論議に生かす道を考えたい。

 道は決して平坦(へいたん)ではないし、確かなゴールも見えない。朝鮮半島には冷戦の残滓(ざんし)があり、北の核開発という現実の脅威が迫る。だからといって、「核の傘」の強化に力を注いだり、ましてや核武装論を叫んだりするようなことは、「核には核を」という負の連鎖を自ら作り上げることにほかならない。

 平和を求める理念を鍛え、ねばり強い外交交渉で現実を切り開き、一歩ずつ、まずは自国周辺に前向きの潮流を生み出す。決して不可能なことではないはずだ。それには、広島、長崎、沖縄の地から発した日本人の自然な民意が、最大の支えとなる。

 平和を希求する市民の心性と、国際社会の現実を見据えた外交の知恵が結びついた時、被爆国日本の本当の力が生まれる。