朝日社説『あの戦争の記憶―世代を超え、橋を架ける』 :記憶を作り直されては堪らない

http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20090815/1250323086
酔っ払いのうわごと2009-08-15 1gal1qt1gill1fl oz
■[朝日新聞][サヨク]記憶を作り直されては堪らない より

*****************************

あの戦争の記憶―世代を超え、橋を架ける
(cache) asahi.com朝日新聞社):社説 2009年8月15日(土)
http://s02.megalodon.jp/2009-0815-1207-05/www.asahi.com/paper/editorial20090815.html
教科書の記述や靖国参拝を中国や韓国から批判されると、国内から反発が起きる。

*****************************

時代は、変わった。私は、そう感じました。終戦記念日朝日新聞の社説に「中国」「韓国」という文字が、たったの、これだけしか出ないのですから。流石の朝日新聞も、軍事的にも発展著しいシナの戦争被害を訴えても読者の心を打たないと考えたのでしょうか。韓国の「強制連行」と「従軍慰安婦」の嘘も通用しなくなりましたしね。

そこで今年は、シナ大陸から離れ、フィリピンでの加害責任を問う事にしたようです。しかし、話をフィリピンに限ったのは、どうしてなのでしょうか。南方戦線でならインドネシアシンガポールにも被害を与えているのに不思議な話です。フィリピンは、戦争が無くてもアメリカから独立する事になっていましたから、単純に被害だけを語りやすかったのでしょうか。タイを除けば他のASEANの国は戦争があったから独立できたという面がありますから。

それにしても、幾らフィリピンの戦争被害を強調するためであっても、この匿名の証言は酷すぎます。本当に、このような証言はあったのでしょうか。

************************************************************

「お国のために何でもやる。そんな教育に従って生きてしまった気がする」と、振り返った元兵長がいた。

●「強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火……。軍命とはいえ、罪の気持ちはある。でも謝るすべを知りません」。
工兵隊にいた人は声を絞りだした。

 話の最後に「無我夢中でゲリラを突き刺した」と、打ち明けた人もいた。

****************************************************

南方戦線が兵站の軽視から食糧不足だったのは私も知っています。仮に食糧をフィリピンの人から強制的に供出をさせた事を『強盗』と言うなら『軍令』での『強盗』は、あったかも知れません。しかし、●『軍令』で『強姦』したなどという事が有り得るのでしょうか。私には信じられません。上下の証言が、まともなだけに、この証言も本当だと思ってしまう人も多いのではないのでしょうか。朝日新聞は、この証言が本当にあったというのであれば、匿名では無く実名で出すべきです。本当に朝日新聞は、日本軍を何処まで貶めれば気が済むのでしょうか。

**********************************

 ■語り始めた元兵士
 東京都中野区の安田誠さん(86)は航空通信兵だった。フィリピンから復員後、薬の輸入商社で働き、子会社の社長まで務めて引退した。
 2等兵の経験談など、だれも耳を傾けまいと思ってきた。だが、気がつけば、外国に対し勇ましいことを言う空気が世にあふれている。戦地の悲惨さを、若い者は知らんのだろうか。
 ●孫に2年前、●戦争を語る集会に連れて行かれたのが契機になった。●請われるまま公民館などで話す。散歩中に同年配者を見かけては、仲間に誘う。

******************************

私が読んでいるのは社説であって小説ではないはず、と言いたくなります。これでは論説委員の感情なのか安田氏の発言なのかの区別がつきません。『戦地の悲惨さを、若い者は知らんのだろうか』というのは誰の思いなのでしょう。

それと私は、『孫』の存在が気になります。『戦争を語る集会に連れて』行くような『孫』の思想信条がです。『孫』に誘って貰った安田氏は、さぞや喜んだ事でしょう。それを思えば、安田氏が、そういう『孫』の気に入るような悲惨な話ばかりを語っているように思えてしまうのは私だけでしょうか。戦時中にあった楽しかった話などしよう物なら『孫』に、そっぽを向かれてしまうかも知れませんから。80歳を超える年齢になれば話し相手も少なくなり勝ちだから猶更のように思えます。『同年配者を』『仲間に誘う』のも淋しさが一つの要因ではないのでしょうか。私は、このような声を聞いてくれる人のため『請われるまま』に語る証言者は他にも多いような気がします。



しかし、『語り始めた元兵士』という中見出しは、どうなのでしょうか。戦争を語った兵士など戦争終了直後から山といます。そして、それらを纏めたノンフィクションや帰還兵による小説も何冊発行されたか数え切れないくらいです。それを今更、『語り始めた元兵士』と言うのには何か隠された思惑が秘められているとしか思えません。



かつて「中国帰還者連絡会」(中帰連)という組織がありました。中帰連は、積極的にシナ大陸に於ける日本軍の加害を語りました。「南京虐殺」や「三光作戦」が世に広まったのも、この団体の証言からです。問題は、中帰連がシナによって洗脳されていたと疑われる事です。どうして洗脳が疑われるかと言えば、同じ戦場で戦った人が中帰連とは全く違う証言をしたからです。戦後のマス・メディアは、ずっとサヨク・リベラル派の力が強かったですから、中帰連の証言ばかりが世間に広まってしまいました。しかし、若い世代の間では、ネットによって中帰連の発言は相対化されてしまったのです。南京戦に参加できるはずのない年齢の人が発言しているなどの矛盾が明らかになったからでもあります。

そう言えば『悪魔の飽食』(森村誠一・著)で有名になった「731部隊」の情報がアメリカの情報公開法で開示された事を御存知でしょうか。これで「731部隊」の戦争犯罪が明かになると、サヨク・リベラル派の学者が念入りに調べたそうです。しかし、残念な事に期待していた細菌兵器の人体実験などの戦争犯罪をしていなかった事が明らかになりました。「731部隊」の戦争犯罪を証言した人も多かったのですけれどね。
(略)

そこで、サヨク・リベラル派は、これまでに語られて来なかった新しく証言を出せば勝ちだと考えているのではないのでしょうか。例え、それが大袈裟であったり、多少の記憶違いがあっても、もう否定する事が出来無いと考えている事のだと思います。経験した事の証言は重いですから、明白な事実誤認でもないと否定し難いですから。

****************************************

 ■体験者なき戦後へ
 NHKが進めるプロジェクト「戦争証言アーカイブス」では、従軍経験を語る映像がウェブ上で閲覧できる。10月までの試行で約100人分。銃後の経験を含めた証言をもっと増やし、11年には本格サイトを完成させる。
 番組制作で集めたインタビューを未放送分も含めて収録し、戦場名や年表からの検索も可能にした。日本人の戦争体験全体を、体系的・総合的に整理するねらいだという。
 ●『社会の中で薄れてゆく記憶を、●つくりなおす。』世代を超えて橋を架ける作業がいくつも進められている。

*************************

これも危険な計画です。『日本人の戦争体験全体を、体系的・総合的に整理する』と言っても整理するのはNHKなのですから。NHKと言えば、バウネットの「女性国際戦犯法廷」や訴訟問題が起きている「Japanデビュー―アジアの“一等国”」を作った放送局です。「戦争証言アーカイブス」とやらも、どれだけ自虐的な内容になるか解りません。NHKからすれば、都合の良いインタビューだけを残し、都合の悪いインタビューは捨ててしまえば良いのですから簡単な事です。

私には『社会の中で薄れてゆく記憶を、つくりなおす』の『つくりなおす』が、朝日新聞を始めとするサヨク・リベラル派に都合の良いように『つくりなす』に見えてしまいました。朝日新聞には、商業行為の売春婦であった「慰安婦」を、「従軍慰安婦」とする事で戦争被害者であるかのように事実をネジ曲げた実績があります。それを思うと、恐ろしい事が起きようとしているのかも知れません。


社説全文は以下

**********************************************************************

あの戦争の記憶―世代を超え、橋を架ける

 64回目の終戦記念日を迎えた。

 驚かされる数字がある。被爆地にある長崎総合科学大学の平和文化研究所が、同大の学生を対象に行った昨年の調査で、「終戦の日」がいつかを正しく答えられたのは33.2%。15年ほど前は5〜6割台だった。

 戦後生まれは人口の4分の3を超えた。太平洋戦争の戦場から帰還し、健在な人は推計で40万人前後。最後となった1945年の徴兵検査を19歳で受けた人が、もう83歳だ。

 あの戦争の記憶をどう受け継いでゆくか。年々難しくなる課題に私たちは直面している。

 ■当事者に向き合う

 さいたま市英会話学校で働く神(じん)直子さん(31)は、学生時代にスタディーツアーでフィリピンを訪ねた。現地の集会で、一人のおばあさんに「日本人なんか見たくない」と言われたことが胸に突き刺さった。日本兵に夫を殺されたという。

 その3年後に知人から偶然、戦地での行いを悔いながら亡くなった元日本兵がいる、と聞かされた。フィリピンで従軍した人の今の思いをビデオメッセージにして、現地の人に届けてはどうか。そう思いついた。

 旧日本軍の部隊名簿などを手がかりに数百通の手紙を出してみた。ぽつりぽつりと返事が来た。神さんはカメラを手に、全国を訪ね始める。

 「お国のために何でもやる。そんな教育に従って生きてしまった気がする」と、振り返った元兵長がいた。

 「強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火……。軍命とはいえ、罪の気持ちはある。でも謝るすべを知りません」。工兵隊にいた人は声を絞りだした。

 話の最後に「無我夢中でゲリラを突き刺した」と、打ち明けた人もいた。

 フィリピンは太平洋戦争の激戦地だ。日米両軍の死闘のなかで、日本の軍人・軍属60万人中50万人が死亡した。フィリピン人も100万人以上が犠牲となった。

 証言の映像を持参したフィリピンでは、元兵士が葛藤(かっとう)を持ち続けていることに驚いた人が多かった。みなではないけれど、許すと言う人もいた。

 神さんにとって戦争の歴史は、モヤモヤとよどんでいる、という。

 教科書の記述や靖国参拝を中国や韓国から批判されると、国内から反発が起きる。海外に行くと、唐突に過去を突きつけられる。でも学校ではろくに近現代史を学んでいない。広島の被爆体験を描いた「はだしのゲン」は読んだことはあるが、海外に出兵した日本人のイメージは具体的に浮かばない。

 あの時代に近づき、戦争に携わった当事者に向き合わなければ、モヤモヤを埋めて先へと進めない――。

 神さんは「ブリッジ・フォー・ピース」という団体を立ち上げた。若者たちが手分けして70人近い元兵士の話を聞いた。フィリピンの市民団体などの協力で、毎年のように上映会を開く。

 ■語り始めた元兵士

 東京都中野区の安田誠さん(86)は航空通信兵だった。フィリピンから復員後、薬の輸入商社で働き、子会社の社長まで務めて引退した。

 2等兵の経験談など、だれも耳を傾けまいと思ってきた。だが、気がつけば、外国に対し勇ましいことを言う空気が世にあふれている。戦地の悲惨さを、若い者は知らんのだろうか。

 孫に2年前、戦争を語る集会に連れて行かれたのが契機になった。請われるまま公民館などで話す。散歩中に同年配者を見かけては、仲間に誘う。

 元兵士たちの体験を、共有できる形にして残そうという試みもある。

 東京都北区の民家に先月、小さな史料館が開館した。20〜30代のボランティアらでつくる「戦場体験放映保存の会」が、4年前から聞き取りを進めてきた。証言映像のDVDと手記類を合わせ、まず2200人分を公開する。

 「国民的な記憶だったはずの従軍体験を、できるだけ残すことが、戦争を知らない孫たちの世代の使命。あと5年、いや3年が勝負です」と、同会事務局長の中田順子さん(35)は言う。

 元兵士が仲間に呼びかける形で、証言の輪は広がっている。合言葉は「戦友(とも)よ、語ってから死のう」。安田さんもその一人に加わった。

 ■体験者なき戦後へ

 NHKが進めるプロジェクト「戦争証言アーカイブス」では、従軍経験を語る映像がウェブ上で閲覧できる。10月までの試行で約100人分。銃後の経験を含めた証言をもっと増やし、11年には本格サイトを完成させる。

 番組制作で集めたインタビューを未放送分も含めて収録し、戦場名や年表からの検索も可能にした。日本人の戦争体験全体を、体系的・総合的に整理するねらいだという。

 社会の中で薄れてゆく記憶を、つくりなおす。世代を超えて橋を架ける作業がいくつも進められている。

 ごく普通の人が、国の誤った道に巻き込まれ、極限の状況下で、加害者にも被害者にもなる。無名の元兵士たちが若者に語り残すのは、そうした戦争のリアリティーだ。その集積を、日本が二度と過ちを繰り返さないための共有財産にしてゆこう。

 戦場の現実を踏まえない議論を、政治の場で横行させてはならない。

 遠くない将来、あの戦争の体験者はいなくなる。それからも、私たちは「戦後」の時間を刻み続けていく。