選挙前は「アニメの殿堂」と揶揄・批判していたメディア芸術総合センターの建設中止に反対する朝日社説

選挙前は「アニメの殿堂」「ハコ造り」と揶揄・批判する社説、選挙後はメディア芸術総合センターの建設が中止に反対する社説
http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20091001/1254386942
酔っ払いのうわごと 2009-10-01 1gal2qt2gill3fl oz
■[朝日新聞]表現の仕方で、ここまで変わるか

マンガ・アニメ―新発想で大胆な振興策を
(cache) asahi.com朝日新聞社):社説 2009年10月1日(木)
http://s03.megalodon.jp/2009-1001-1309-18/www.asahi.com/paper/editorial20091001.html
 マンガやアニメに対する国の振興策がいま、冒険アニメの主人公のような窮地に立たされている。
 資料収集や展示、情報発信の場として計画された「国立メディア芸術総合センター」が、補正予算の見直しで建設が中止される。
 総選挙では麻生政権のハコもの政策の是非が争点になり、鳩山政権が断を下した。
だが国際的にも注目されている芸術分野をどう振興するかという肝心の政策論争はなかった。
文化庁がまとめたセンターの基本計画も急ごしらえだった。
 だが、建設中止で振興策そのものが立ち往生していいのだろうか。

この朝日新聞の社説を読んでお前が言うなと思った人は多いでしょう。選挙前には、このような社説を書いていたのですから。

アニメの殿堂―ハコ造りよりまず中身
(cache) asahi.com朝日新聞社):社説 2009年6月26日(金)
http://s03.megalodon.jp/2009-0626-1159-59/www.asahi.com/paper/editorial20090626.html
 ハコものづくりを優先するいまのやり方は、現代の大衆文化を大事にしようと、せっかく高まっている機運に冷や水を浴びせる結果を招きかねない。それは何より不幸なことだ。

しかし、両方を読み比べてみると同じ事を言っている事に気がつきます。違うのは、選挙前は「アニメの殿堂」のような揶揄するための言葉や麻生政権に批判的な言葉を多用し、今日の社説では使っていないところです。
お気づきだったでしょうか。今日の社説には「アニメの殿堂」という単語が一つも無いのを。
私が驚いたのは、同じ事を書いているのに、ここまで印象が変わってしまう事です。幾つかの文章を比較してみましょう。<<アニメの殿堂社説>>
 これまでは個人が集めた資料が、研究や普及に大きな役割を果たしてきた。その熱意を引き継いだ研究・文化施設も各地にできている。
 「京都国際マンガミュージアム」は京都精華大学京都市が06年につくった。閉校した小学校を使い、整備費は12億円だった。
寄贈されたものを中心に30万冊の資料をそろえる。昨年度は28万人が訪れ、1割が外国人だ。海外のメディアや研究機関からの問い合わせも多い。<<メディア芸術総合センター社説>>
 資料や記録を保存する総合的な仕組みがなく、長い間、愛好家ら個人の熱意だけが頼りだった。
小規模の出版社やプロダクションが多く、雑誌や本、映像など貴重な記録が失われたり、散逸したりしがちでもある。

アニメの殿堂」社説では民間で十分なようにしか読めません。
しかし「メディア芸術総合センター」社説では逆に政府が補助が必要だと言っているようです。<<アニメの殿堂社説>>
 国の機関では、国会図書館がマンガやアニメDVDも集めているし、近代美術館にフィルムセンターもある。
 こうした施設と連携を深め、その上で政府がやるべきことを検討すれば、実のある施策ができるはずだ。
 横断的なデータベースや総合的なウェブサイト作り、多くの言語への翻訳と発信など、個別の施設には荷が重い仕事はたくさんある。若い作り手の育成も重要な課題だ。そういう事業を中心に据える柔軟な発想がほしい。それでどうしても建物が必要ということになれば、改めて検討すればいい。<<メディア芸術総合センター社説>>
 国立近代美術館でアニメのセル画を保存するなどの話も出ているが、個別の代替案を並べるだけでは総合的な芸術振興の姿は見えてこない。施設整備に偏りがちな文化行政を中身優先に変える新しい発想が必要だ。
 例えば、各地の美術館や記念館などの収蔵品を横に結んで共通データベースを作ったり、いまある美術館を原画などを収集する拠点としたり、どこかの研究機関を海外への情報発信の核と位置づけたり、という具合に。

これも同じ事を言い方を代えて言っているだけなのですけれど、どうでしょう。
アニメの殿堂」社説では近代美術館で十分なはずなのに、「メディア芸術総合センター」社説では不十分だと言っているように思えます。
しかし、朝日新聞は、「アニメの殿堂」社説でも、決して十分だとは言っていません。『ある』とだけ言っているのです。
それ以外の主張は、国立メディア芸術総合センターにょうな物では無く、分散型でマンガ、アニメの振興を図れと言っている点で一貫しています。それなのに、これだけ雰囲気が違うのです。

私は、両方の社説を読み比べてみて、改めて流石に戦前から読者を騙してきただけのテクニックだと思いました。
しかし、この社説が10月に入ってから挙げられたのは偶然でしょうか。
朝日新聞の社説の上には『アサヒ・コムプレミアムなら過去の朝日新聞社説が最大3か月分ご覧になれます』と書かれています。
そして「アニメの殿堂」社説の書かれたのは6月です。
アサヒ・コムプレミアム』のシステムは知りませんけれど、9月だとネットで比較されるのが嫌で10月を待ったなんて事はありませんよね。

社説全文は以下

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マンガ・アニメ―新発想で大胆な振興策を
 行く手をはばまれ、絶体絶命のピンチ。さあ、どうする――。
 マンガやアニメに対する国の振興策がいま、冒険アニメの主人公のような窮地に立たされている。
 資料収集や展示、情報発信の場として計画された「国立メディア芸術総合センター」が、補正予算の見直しで建設が中止される。
 総選挙では麻生政権のハコもの政策の是非が争点になり、鳩山政権が断を下した。だが国際的にも注目されている芸術分野をどう振興するかという肝心の政策論争はなかった。文化庁がまとめたセンターの基本計画も急ごしらえだった。

 だが、建設中止で振興策そのものが立ち往生していいのだろうか。

 いうまでもなくマンガやアニメは、人々の精神や時代を映す重要な芸術・表現ジャンルだ。幅広い鑑賞者に感動や楽しみを与え、研究対象としても注目されている。出版や映像産業の大きな柱であり、輸出も活発だ。海外へ広く深く浸透していて、日本への関心や好感を高めるのに大きく寄与し、観光資源としても有望視される。

 とはいえ、弱さも抱えている。

 資料や記録を保存する総合的な仕組みがなく、長い間、愛好家ら個人の熱意だけが頼りだった。小規模の出版社やプロダクションが多く、雑誌や本、映像など貴重な記録が失われたり、散逸したりしがちでもある。

 意欲のある若い担い手を育てる方策も幅広く考えなくてはならない。

 海外での海賊版やネットでの違法配信が横行し、作り手らの権利が大きく損なわれているのも深刻だ。

 こうした多様な課題を洗い出し、政府が直接やらねばならないこと、既存施設に託して支援すべきこと、他の機関に任せた方がいいことを整理し、白い紙に絵を描くようなダイナミックな発想で取り組む必要がある。

 国立近代美術館でアニメのセル画を保存するなどの話も出ているが、個別の代替案を並べるだけでは総合的な芸術振興の姿は見えてこない。施設整備に偏りがちな文化行政を中身優先に変える新しい発想が必要だ。

 例えば、各地の美術館や記念館などの収蔵品を横に結んで共通データベースを作ったり、いまある美術館を原画などを収集する拠点としたり、どこかの研究機関を海外への情報発信の核と位置づけたり、という具合に。

 様々な施設の独自の活動を拡充しながら有機的に結びつけ、効率良く総合的な機能を生む。そんな分散型「ナショナルセンター」といった新しい姿を構想することも可能だろう。

 官民、省庁の枠を超えて、文化を守り育てる新しい道を考える。メディア芸術をその先行モデルにできないか。知恵と力を集めて。

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アニメの殿堂―ハコ造りよりまず中身

 補正予算で117億円がついた「国立メディア芸術総合センター」、いわゆる「アニメの殿堂」建設が批判にさらされている。

 文化庁はマンガ、アニメ、ゲーム、コンピューターを使った美術作品などを「メディア芸術」と呼び、その国際的な拠点が必要だとしている。

 だが、当のマンガ家や研究者たちから疑問の声があがり、民主党は、バラマキの象徴として、政権をとったら真っ先に中止する対象にしている。

 予期せぬ予算がついて文化庁は大慌てだ。景気対策だから早く工事を始めなければと、肝心の中身の議論は置いてけぼりにされている。

 収蔵品をどう選び、どう展示するか。建物の設計を左右するはずのことさえ決まっていない。運営は民間に委託し、費用は入場料などで賄うという。そんな体制で「拠点」にふさわしい資料収集、保存、研究、展示を続けられるのか。準備不足で空虚な「ハコ」ができないか心配だ。

 マンガやアニメは、現代日本を代表する文化の一つである。海外への影響力も大きく、産業としても観光資源としても期待されている。この分野の研究や情報発信を国が支援することには十分な意味がある。

 これまでは個人が集めた資料が、研究や普及に大きな役割を果たしてきた。その熱意を引き継いだ研究・文化施設も各地にできている。

 「京都国際マンガミュージアム」は京都精華大学京都市が06年につくった。閉校した小学校を使い、整備費は12億円だった。寄贈されたものを中心に30万冊の資料をそろえる。昨年度は28万人が訪れ、1割が外国人だ。海外のメディアや研究機関からの問い合わせも多い。

 東京では、明治大学が国際的な研究拠点作りをしている。この夏、先行して図書館を開館し、多様な資料の収集も進む。数年のうちに大規模な施設を整備し、一般にも開放する計画だ。

 国の機関では、国会図書館がマンガやアニメDVDも集めているし、近代美術館にフィルムセンターもある。

 こうした施設と連携を深め、その上で政府がやるべきことを検討すれば、実のある施策ができるはずだ。

 横断的なデータベースや総合的なウェブサイト作り、多くの言語への翻訳と発信など、個別の施設には荷が重い仕事はたくさんある。若い作り手の育成も重要な課題だ。そういう事業を中心に据える柔軟な発想がほしい。それでどうしても建物が必要ということになれば、改めて検討すればいい。

 ハコものづくりを優先するいまのやり方は、現代の大衆文化を大事にしようと、せっかく高まっている機運に冷や水を浴びせる結果を招きかねない。それは何より不幸なことだ。