民主党政権は自由な反日教育ができるように制度を整備しろと主張する朝日社説
2009年10月19日(月曜日)付 朝日新聞社説
■新政権の日本―「学校自治」に変えてゆこう
・教育の「55年体制」
・進行していた危機
・「学校理事会」を核に
http://www.asahi.com/paper/editorial20091019.html
559 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 06:52:27 id:ZGAO++U60
>>556
>きめ細かな学びが必要なのに、全国一律の物差しでの学力競争に駆り立てられる。
>近年は、規律や規範が強調されるようになった。
あれ?それが駄目だからってゆとり教育導入してみたら日本の学校の国際的な順位が下がった事実は無視?
規律や規範は荒れる授業が増えたから言われはじめたんだけどそういうのは国として放置のまま?
560 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 06:59:52 id:kNCMiz8q0
■新政権の日本―「学校自治」に変えてゆこう
>教科書選択、校長の人選まで、信頼関係の中で決めてゆく。
>教師の創意工夫を尊重し、質の高い実践が生まれるよう支援する。
要するにアレだ。新政権(民主党政権)は自由な反日教育ができるように制度を整備しろ!
という趣旨の社説である。
>核となるのは、親や地域が学校づくりにかかわる学校理事会だ。
「学校理事会」とやらの理事会員は、職業ではない。これをやって生活できるわけではない。
60歳を過ぎたって、働かないで済むとは言えない。
普通の人は他に職業がある。働かなくてはならん。
ところが世の中には不可思議な人間がいるもので、
例えば「つくる会の歴史教科書」の採択・不採択が決定される日、それは平日であるわけだが、
その日に大集合し、反対運動をできたりする人間がいる。
全国各地の採択日に集まっては騒いでいたのをいぶかしく思ったものだ。
こいつらは仕事はどうしているのだろうか?と。
このように平日から学校理事会などに入り浸っていられる人間は怪しげな人間である。
にも関わらずそんな場所に足繁く通い詰める事ができるのは、つくる会の歴史教科書の採択現場に現れたような連中である。
そんな連中が、教科書を選定し、校長の首まですげ替えようというのは実に空恐ろしい事であり、
これは正に朝日新聞の腹黒さの証明である。
故に結論は
>学校自治の実現に向け、国民的な議論を巻き起こしたい。口火を切ることが政治の役目である。
そんないかがわしい「学校自治」など実現させてはならない。
最後に朝日新聞がいかにマヌケであるかを指摘する。
>地域の実態や子ども一人ひとりに合わせた教育を、ひざ詰めで話し合う。
「子ども一人ひとりに合わせた教育」とやらをするには、子供の数だけ教師の数が要る。こんな単純な事も分からない朝日脳である。
561 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 07:54:48 id:CBfyvA650
>■新政権の日本―「学校自治」に変えてゆこう
むしろ日教組によるゆがんだ自治の問題なのだが。日教組の文字は一回だけ。
562 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 08:09:05 id:C81ofm7k0
>ある小学生の母親が、子どもに給食ではなく弁当を持たせたいと考え、担任の先生に相談した。
・・・・
>結局、この件はウヤムヤになった。
意図的にウヤムヤにしたのかもしれないが、これはこれで大人の対応として正解かもしれない。
弁当にしなければならない切迫した理由が生徒にあったなら学校はウヤムヤにはしなかったかもしれない。
一つの事例で55年体制云々と決め付けるのは危険。
論理の飛躍や非論理の結果が、教育界を駄目にする。
563 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 09:10:37 id:J1gmuCYv0
ああ。ユニオンショップ、かつ、日教組による学校自治ね。
564 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 10:00:14 id:FrBYr8gv0
>「学校自治」に変えてゆこう
ついにキター(AAryって感じですな。
はいはい輿石輿石。
偏向の問題については既に語られているので、別の観点から。
この社説もそうだし、左がかった連中は二言目には画一化がいかんと言うが、果たして
そうだろうか?思考や発展的学習の土台となる基礎的学力を身につけさせる為には、
むしろ画一化されたカリキュラムの方が効率的で良いのではないかな。
もう一つの問題は、これは特に義務教育に関し、親の転勤その他で転校を余儀なく
された場合、どこの学校に行っても一定水準の内容の教育を受けられるという安心感が
担保されなくなるという点。たとえば、前の学校ではまだ習っていなかった漢字や公式を
当然の前提として授業を進められたら、児童生徒はたまったものではないよ。
(画一化したとしても若干は授業の進度に差は出るものの、「学校自治」とやらでは
意識的にその差を広げようというわけだから、やはり好ましくない)
そういった点に対して考えた形跡が全く感じられない、それが日教組・朝日・左巻きの
クオリティーであり、結局学ぶ側の児童生徒ではなく、自分たちのイデオロギーと
自己満足の為に行動している事がはっきりと見て取れ、片腹の痛さを感じる。
教科書採択問題の時にも思ったが、学校サイドに自由を与えろと主張するなら、
生徒や保護者に学校選択の自由を与えた上でないと、独善と偏向に対する
歯止めがきかなくなって・・まぁそれが目的なんだろうけど。
(今回挙げられたケースは高校なので一応学校選択の自由はあるが、問題は
義務教育の場合も同じ、いや、むしろ更に深刻である)
565 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 10:02:59 ID:9xPB/ilf0
■新政権の日本―「学校自治」に変えてゆこう
>日教組との対立が激しく、そのためにも、教育現場を上から押さえつける必要があった。
だってその身分が「全体の奉仕者」たる公務員であるはずの公立校教師が
特定イデオロギーのみを善とする指導をやろうとしてたんだし
百歩譲って特定思想を前提にした教育を是としたとしても
そこからさらに「この思想に反する事柄には従う必要はない、むしろそんなものは破壊しろ」
なんていう子供じみた指導内容まで存在したんだから「公」の見地からすれば必然だろ
>学校行事からカリキュラムの組み立て、教科書選択、校長の人選まで、信頼関係の中で決めてゆく。
つまり式典で教員や生徒は君が代斉唱に参加するよう校長が指導したとしても
理事会に参加する親が団交に走って校長を吊るし上げたりはするなということですね、わかりますw
…え、「信頼関係」ってそういうことでしょ、俺の辞書が間違ってるの?
>「公教育は行政から提供されるサービスだ」。そんな意識がはびこっていないか。
>経済危機が家計や雇用を直撃しているが、私たちが学校づくりを引き受けることは、
>市民社会を鍛え、豊かにすることにつながる。
微妙に座りの悪い文章だなあ、
スパッと「保護者もガキ理屈で授業料や給食費を滞納すんな!(キリッ)」って言えばいいのに(冷笑)
566 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 10:21:53 ID:5a+rBmUB0
■新政権の日本―「学校自治」に変えてゆこう
>核となるのは、親や地域が学校づくりにかかわる学校理事会だ。
>地域の実態や子ども一人ひとりに合わせた教育を、ひざ詰めで話し合う。
>学校行事からカリキュラムの組み立て、教科書選択、校長の人選まで、信頼関係の中で決めてゆく。
>教師の創意工夫を尊重し、質の高い実践が生まれるよう支援する。
>そうした「学校自治」が実現するならば、学びの場は大いに元気を取り戻すはずだ。
詰め込みではなく、地域と連携しながらカリキュラムを組み立ててゆく。
そういうのを目指したのがいわゆる「ゆとり教育」だったのではないか?
で、結果はどうなったか? 教師たちはどうしたら良いのか分からず右往左往、
週休2日で時間に余裕のできた子供らは塾に通う時間を増やしただけ、
塾に通えない子供たちは更に勉強が遅れてゆく・・・
結局、相対的な国の学力は落ちまくったんじゃないか。
今、必要なのは、
優秀な学童選抜による超エリート養成教育 + 出来ない子に対する徹底的な詰め込み教育
ではないかと思う。教育は国力の源だ。
567 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 10:44:04 id:JQFw+o+b0
受験戦争の弊害というけどさ、公立学校だけそれを排除してもむしろ学力格差が広まるだけなんだよな。
金のある奴は私立の進学校や進学塾に行って、エリートコースに行ける。
経済的に余裕のない奴は受験教育のない公立学校に行くしかない。
その結果、貧乏人の子供は貧乏人のまま。
金持ちの子供は金持ちに。
左翼の望む結果とは正反対になってるんだけど。
貧乏人も金持ちも関係ない公立学校でもそれなりの競争に基づく教育をやれば、貧乏人にも道は開かれる。
これこそ平等じゃないのかね。
スタートラインはみな一緒だから。
これまでのゆとり教育とやらはスタートライン自体が違う結果になった。
570 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 12:24:41 id:M6AP8Bw20
地域で教育を考えろと言われても
君が代不起立問題など、
背後に朝日新聞を含め、全国的左翼組織が活動しているので
地域だけでは対抗できない。
571 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 13:23:13 id:fhyS1f1Q0
>親や地域が学校づくりにかかわる
文部省が実施しようとしても、現場の教師が猛反対するだろう
575 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 21:43:27 id:JQtSrQiz0
▽公立小中学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家らが参画する「学校理事会」が運営する――。
選挙で選ばれたわけでもない奴らが勝手に公教育を運営していいわけねーだろ。
576 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 22:55:56 id:FrBYr8gv0
まったく、好き勝手やりたいなら私塾でも作ってどうぞ、ってところだな。
(それでも問題あるが)
>▽公立小中学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家らが参画する「学校理事会」が運営する
公立の公の字が見えんのかと小一時間(ry
577 :576:2009/10/19(月) 22:58:09 id:FrBYr8gv0
ついでにもう一つ。
何度か言っているが、学校ごとに自由にやりたいと言うなら、
学校を選ぶ自由とセットにしないとダメ。
まぁ怖くてとてもできないだろうが。
578 :文責・名無しさん:2009/10/19(月) 23:38:35 id:K7wtvNiQ0
■新政権の日本―「学校自治」に変えてゆこう
> ところが、その裏で進行していた病が、やがて教育のゆがみとして指摘されるようになる。
>受験戦争の弊害、荒れる学校、90年代に噴出したいじめや不登校……。00年ごろからは学
>力低下が叫ばれた。
> ときどきの自民党政権は様々な改革を繰り出した。最大の問題は、システムの土台に手をつ
>けなかったことだ。
自民党と、自民党が作り上げてきた仕組みが、何もかも悪い。だってさ。思考停止だな。
> 鳩山政権は、この「55年体制」にもメスを入れ、地域や学校に大幅に権限を移そうとして
>いる。
> 国の役割は、一定の教育水準の維持と、教育環境整備のための財源確保に限定する
>▽教育行政の責任は自治体の長が負い、教育委員会はそれを監視する機関に改める
>▽公立小中学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家らが参画する「学校理事会」
>が運営する――。
>政権公約や川端達夫文科相の説明によれば、こんな構想だ。
教育は地方が思い通りにやるから、責任は自治体が持ち、ゼニとケツは国が持て。
という感じか。
『地域の実態や子ども一人ひとりに合わせた教育を』なんていう言葉から、教育から得られる結
果の平等を求めているように思える。その結果の最低ラインは政府に負わせようってんだから、
まあなんだ、甘ったれたもんだ。
大体『全国一律の物差しでの学力競争』『規律や規範』てのを否定する、その精神が判らん。
教育の現場から、徹底的に”国”を排除したいようだが、それで得られるものの中には『地方毎
の教育格差』が必ず含まれる。それは、地方の分断と対立を生む。
国家がひとつにまとまると軍国主義になってしまう、という「羹に懲りて膾を吹く」ような考え
方が根底にあるようだ。
まー、この類の人々は、自分好みの思想を教育できるとなったら、手のひら返して画一的な教育
を全国民に押し付けるのだろうけれど。
朝日社説全文は以下
******************************
新政権の日本―「学校自治」に変えてゆこう こんな話を聞いたことがある。
ある小学生の母親が、子どもに給食ではなく弁当を持たせたいと考え、担任の先生に相談した。
「私の一存では決められない」と担任。校長は「教育委員会に尋ねてみないと」と言葉を濁した。市教委は「県教委に」、県教委は「文部省(当時)に聞いてほしい」と答えた。
文部省に電話した。「いや、それは教育委員会が判断なさることで……」
結局、この件はウヤムヤになった。
■教育の「55年体制」
文部科学省が教育委員会を通じて、はしの上げ下ろしまでコントロールする。学校は何も決められない。一方で文科省、教委、学校のどこが最終的に責任を持つかはあいまい――。
極論すれば、これが長く続いた教育の「1955年体制」だった。
戦後教育は、学校が軍国主義に取り込まれた反省から出発した。1947年にできた旧教育基本法は、政治や官僚機構の介入に歯止めをかけようとした。教育行政は、住民が選挙で選ぶ教育委員会に委ねられた。
だが、この精神は早くから骨抜きになる。自民党結党の翌56年、教育委員公選制が廃止され、かわって地方教育行政法が制定された。文部省が「指導・助言」という形で実質的に教委を縛る仕組みが、できあがった。
文部省の施策には自民党の文教族が影響力を持った。日教組との対立が激しく、そのためにも、教育現場を上から押さえつける必要があった。
中央集権型の教育システムは、戦後日本の高度成長を支える機能は果たした。産業社会は多くの優秀な人材を求め、親は子に学歴をつけさせようと必死になった。文部省は画一的な手法で、教育の大衆化を進めた。
■進行していた危機
ところが、その裏で進行していた病が、やがて教育のゆがみとして指摘されるようになる。受験戦争の弊害、荒れる学校、90年代に噴出したいじめや不登校……。00年ごろからは学力低下が叫ばれた。
ときどきの自民党政権は様々な改革を繰り出した。最大の問題は、システムの土台に手をつけなかったことだ。
上意下達の教育行政は、第一に深刻な「教師の危機」をもたらした。
ピラミッド型組織に組み込まれ、指示に振り回される。生徒を座らせ、プリントをやらせるだけで精いっぱい。「子どもに向き合う時間がとれない」と悲鳴が上がる。燃え尽き、辞めてゆく教師が増え、サラリーマン化した教師の質の低下も指摘される。
子どもたちはどうだろう。
きめ細かな学びが必要なのに、全国一律の物差しでの学力競争に駆り立てられる。近年は、規律や規範が強調されるようになった。
「疲れを感じる」「自分はダメな人間」とアンケートで答える中高生は、米国や中国に比べ際だって多い。
鳩山政権は、この「55年体制」にもメスを入れ、地域や学校に大幅に権限を移そうとしている。
国の役割は、一定の教育水準の維持と、教育環境整備のための財源確保に限定する▽教育行政の責任は自治体の長が負い、教育委員会はそれを監視する機関に改める▽公立小中学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家らが参画する「学校理事会」が運営する――。政権公約や川端達夫文科相の説明によれば、こんな構想だ。
改革が進めば、文科省のあり方も見直しは避けられない。日本の教育、特に義務教育の風景は、一変することになるだろう。
■「学校理事会」を核に
核となるのは、親や地域が学校づくりにかかわる学校理事会だ。
地域の実態や子ども一人ひとりに合わせた教育を、ひざ詰めで話し合う。学校行事からカリキュラムの組み立て、教科書選択、校長の人選まで、信頼関係の中で決めてゆく。教師の創意工夫を尊重し、質の高い実践が生まれるよう支援する。そうした「学校自治」が実現するならば、学びの場は大いに元気を取り戻すはずだ。
学校と地域が連携する試みは、各地ですでに始まっている。教員の人事に意見を言ったり、行事を一緒に考えたり、ボランティアが学校に入ったり。だが、制度的な限界もある。
学校理事会をお飾りにせず、どれだけ学校運営を任せられるか。理事会をチェックする方法は。地域の学校以外の選択肢をどう確保するか。大変な宿題が山のようにある。
教育委員会と自治体の長との関係については、熟慮が必要だろう。
形骸(けいがい)化した教委の現状は、もちろん問題だ。だからといって、市町村長に教育内容の責任まで負わせてしまってよいか。肝心なのは、教育のあり方に地域の人々の意見を反映する仕組みをどうつくるかだ。教育委員公選制の復活を検討してもいい。
親や地域住民である私たち自身の覚悟も問われることになる。
「公教育は行政から提供されるサービスだ」。そんな意識がはびこっていないか。経済危機が家計や雇用を直撃しているが、私たちが学校づくりを引き受けることは、市民社会を鍛え、豊かにすることにつながる。
学校自治の実現に向け、国民的な議論を巻き起こしたい。口火を切ることが政治の役目である。