三権分立を明確に否定する菅氏の発言に、何の意見も言わずにただ垂れ流す朝日社説

2009年11月02日(月曜日)付 朝日新聞社
■「国会改革を考える」―政権交代を生かし大胆に
・頭を切り替えてみる
・政治家同士が議論を
・事実上の「通年国会」に
http://www.asahi.com/paper/editorial20091102.html

794 :文責・名無しさん:2009/11/02(月) 08:04:44 ID:j4/5TCnI0
■「国会改革を考える」―政権交代を生かし大胆に

>菅氏が言うように多数党が政権をつくるのだから、政府と与党は「一体」である。
>これまでは「政府」対「国会」という構図でとらえられてきたが、
>本来は「政府与党」対「野党」の対抗として考えるのが正しい――。

要するに自民党がアホ過ぎたと言えばいいのか、
自民党政権の場合明らかに「政府」対「国会」だった。
何しろ自分たちで選んだ首相を自分たちで引きずり降ろすんだから。

とは言え朝日新聞じゃないんだから今さら自民党を叩いてもしょうがない。
問題はなぜ突然、管だの小沢だのがこういう事を言い始めたのかだ。

小沢が「仕分け担当議員」を、新人議員教育と銘打ち小沢教室(?)のために引き抜いた。
「仕分け」は政府の仕事である。新人議員教育は党の仕事である。
なんと民主党は政府の仕事より党の仕事を優先した。
これに対する懸念を(珍しく)テレビで見た。党役員は公職ではない。
公職に無い者が公職に従事している者を引き抜いた、と。
この批判をかわすために、「政府と党は一体である」と民主党の連中が言い始めたのだろうと考察する。

政府が党の下にあるのは論外である。とは言え本来「政府与党」対「野党」であるのは自明の理。
むしろ本来がこちらである。

795 :文責・名無しさん:2009/11/02(月) 08:05:29 ID:j4/5TCnI0
軽率なのは管直人だ。

>「国会内閣制」という考え方である。

自民党が本来の考え方を忘れて首相の足を引っ張っていただけで、これは新しい考え方でもなんでもない。

>菅氏によれば、日本国憲法が想定する国の仕組みを「三権分立」と単純にとらえるのは正しくない。

おまけに「三権分立ではない」などと言うに至っては論外だ。
三権分立に決まっているだろう。鳩山内閣不信任案を民主党議員だって出せる。
民主党議席を減らす解散権が鳩山首相にある。
これで「三権分立」ではないとは、一体どういう了見だろうか?
「日本は民主主義の後進国だ」と自分で言っているに等しい。

アメリカ合衆国だってオバマ民主党の出身である。
民主党が議会の多数を占めれば運営がやりやすくなるというのも常識だ。

796 :文責・名無しさん:2009/11/02(月) 08:06:43 ID:j4/5TCnI0
>「党議拘束」のあり方も考えたい。民主党は法案の事前審査をなくす方針だが、
>それなら議員たちが法案の是非について自由な意見を述べられるよう党議拘束を緩めるべきである。

朝日新聞のこの意見には賛同しよう。
法案の事前審査をしない上に党議拘束はかける。
いよいよ民主党及びその政権が外国人参政権強制導入のための道筋をつけ始めたとしか考えられない。

民主党議員の中にもいろいろな奴がいると信じたい。まともな議員もいると。
国民主権を謳いながら、国民でない奴に主権を与えようとする外国人参政権は潰さなければならない。

予め混乱が予想される法案について事前審査も省略し、民主党議員が自由な意見も述べる事も許さず、
党議拘束はそのままでは納得がいかない。

朝日新聞は「緩める」と言ったが、一歩進めて審査もしないつもりなら党議拘束を「無くす」べきである。
投票行動を党のせいにできない極限状況でそれでも尚国民じゃない奴に主権を与えようとする連中が
どれだけいるか、である。

798 :文責・名無しさん:2009/11/02(月) 11:41:21 id:zEqFOcgo0
■「国会改革を考える」―政権交代を生かし大胆に

> 菅氏によれば、日本国憲法が想定する国の仕組みを「三権分立」と単純にとらえるのは正し
>くない。国民の信を得た多数政党が党首を首相にし、その首相が内閣をつくる。つまり多数党
>は、立法権を押さえ、行政権をも握ることになるからだという。

日本は三権分立の国ではない、という菅氏の発言を、肯定もせず、否定もせず、ただ垂れ流す社
説子。相変わらずこすっからい。
分散と相互監視が、権力の暴走を防ぐんじゃなかったのかね。国の仕組みを口先だけでひっくり
返そうという発言も、民主党が言えば華麗にスルーか。太鼓持ちもいい加減にしろ。

> 4年前の郵政選挙自民党が大勝して以来、国会での「巨大与党の暴走」に対する懸念が強
>まっている。暴走を食い止めるのは、なんといっても政権交代の可能性である。民意の厳しい
>監視が必要だ。
> 新時代にふさわしい国会の姿を描くのは、私たち有権者の責任でもある。

私たち、ときたよ。相変わらず主語を適当にいじくる社説子。

巨大与党となった民主党は、既に迷走、暴走していると思うのだが。
監視しろよ。

799 :文責・名無しさん:2009/11/02(月) 12:56:45 id:usEyMesJ0
何故国民は民主党を選んだか?
それは、自民党の生ぬるい民主主義政治に国民がうんざりしたからだ。
野党から批判されれば「少数の意見にも耳を傾けます。」と政策修正。
マスコミから批判されれば「批判を真摯に受け止めます」とすぐ辞任。
有識者や官僚からアドバイスされれば「有益な助言をいただきました」と政策に反映させる。
こんなことばかりやってる無能な自民党政府はもういらない。
これからは「トップダウンの強力な民主党政権のもとで日本を復活させよう」というのが民意なのだ。

801 :文責・名無しさん:2009/11/02(月) 19:44:55 ID:H/dJl59J0
トップダウンの強力な

そういうのを朝日は独裁だの強権政治だの数の暴力だのと
さんざん文句言ってきたはずですが。

朝日社説全文は以下
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「国会改革を考える」―政権交代を生かし大胆に
 鳩山政権の誕生で、予算編成のやり方をはじめ、政治の姿が大きく変わろうとしている。国会も、永久与党、万年野党の時代の国会とは大いに違ってしかるべきだ。

 政権交代が当たり前になる時代の新たな国会はどうあるべきなのか。議論が始まった。

 具体的に声をあげたのは民主党小沢一郎幹事長だ。衆院本会議で民主党の代表質問を省いたり、政治学者ら有識者の集まりである21世紀臨調に意見を求めたり、国会の大がかりな改革に乗り出す構えを見せている。


■頭を切り替えてみる

 行き当たりばったり、説明不足のままでの性急な取り運びは困る。だが、議論しようという姿勢は大いに買う。

 戦後の半世紀というもの、自民党政権の下で「国対政治」に象徴される与野党の交渉術などが定着した。それが、国会を形骸化(けいがいか)させてもきた。ここで抜本的に見直してみようというのは、意味のある問題提起である。

 まず、民主党の2人の首脳の議論に耳を傾けてみよう。

 菅直人副総理・国家戦略相が唱えるのが、「国会内閣制」という考え方である。

 菅氏によれば、日本国憲法が想定する国の仕組みを「三権分立」と単純にとらえるのは正しくない。国民の信を得た多数政党が党首を首相にし、その首相が内閣をつくる。つまり多数党は、立法権を押さえ、行政権をも握ることになるからだという。

 内閣は独立して国会の「外」にあるというよりは、その「中」にあるというイメージだ。内閣の下に各省庁などの行政機関が組織される。

 小沢氏も、国会をめぐる「頭の切り替え」の必要性を訴える。

 菅氏が言うように多数党が政権をつくるのだから、政府と与党は「一体」である。これまでは「政府」対「国会」という構図でとらえられてきたが、本来は「政府与党」対「野党」の対抗として考えるのが正しい――。


■政治家同士が議論を

 両氏の議論の根底には、自民党政権時代の政治の仕組みを根本的に覆そうという狙いがある。標的は「官僚内閣制」としばしば呼ばれるものだ。

 これまで、予算も法案も実質的にはすべて各省庁の官僚がつくってきた。国家の利益を考え、判断するのは官僚機構であり、閣僚たちはそれにお墨付きを与え、与党は国会で法律などを成立させる。

 業界や利益団体との利害調整で、与党が官僚と対立することもあるが、基本は「官僚→内閣→国会」の流れで進んでいく。

 これを、正反対に「国会→内閣→官僚」へと逆転させようというのが、菅氏や小沢氏ら民主党の考え方のようだ。官僚依存から政治主導へという看板とも響き合うものなのだろう。

 具体像を描くのはこれからだが、こうした方向性は理解できる。

 だからこそ、今後の議論に向けて留意すべき基本原則を掲げておきたい。

 第一に、国会議員たちの自由な議論が保障されることだ。与党議員は質問を控えるとか、政策や法案のあり方について意見を述べられないとかいった仕組みはおかしい。国会審議の活性化を最優先に考えたい。

 民主党に誕生した大勢の新人議員について、最大の仕事は次の総選挙で当選することなのだから選挙運動に傾注せよと促す声がある。政党の論理としては一面の真理はあるにせよ、それだけでいいはずはない。有権者は議員が発言し、政策づくりにかかわることを期待して票を投じたのだ。

 かつて国会法に定めのあった議員同士の「自由討議」を復活させてもいい。官僚の答弁を一切禁止する構想も民主党にはあるが、慎重に考えるべきではないか。行政監視などを担う別の場を国会に設ける考え方もある。

 第二に、そうした議論を生かして、必要な法案修正が柔軟に行える仕組みを考えることだ。政府与党の案が数の力で通過していくだけの国会にしてはならない。


■事実上の「通年国会」に

 第三に、政権交代が常態となれば、つまり与野党が入れ替わることになる。現時点で多数を握る与党が自分に有利なルールを押しつけるのではなく、公平なやり方を考え出さねばならない。現時点の野党も、抵抗策ばかりを重視するのは建設的とはいえない。

 長期政権時代の国会の進め方には、見直すべき点が少なくない。

 国会の会期制もその一つだ。会期末の時間切れをにらんで与野党が駆け引きを繰り広げる「日程国会」とは決別したい。通常国会を事実上、通年化することに真剣に取り組む時期だ。

 「党議拘束」のあり方も考えたい。民主党は法案の事前審査をなくす方針だが、それなら議員たちが法案の是非について自由な意見を述べられるよう党議拘束を緩めるべきである。

 それによって法案の政府修正や、与党修正もやりやすくなるだろう。

 4年前の郵政選挙自民党が大勝して以来、国会での「巨大与党の暴走」に対する懸念が強まっている。暴走を食い止めるのは、なんといっても政権交代の可能性である。民意の厳しい監視が必要だ。

 新時代にふさわしい国会の姿を描くのは、私たち有権者の責任でもある。