『小学校教科書―「分厚い」を「楽しい」に』:ゆとり教育を絶賛してきた過去に口をつぐむ卑怯な朝日社説

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独書録 April 01, 2010
小学校教科書についての各紙社説

2010年04月01日(木曜日)付 朝日新聞社
■小学校教科書―「分厚い」を「楽しい」に
http://www.asahi.com/paper/editorial20100401.html
朝日新聞

> 「子どもたちの知識が薄っぺらになっていることは心配だった。教科書の内容が豊かになったのはよいことだ。学びの幅も広げられるだろう」

 よくそんなことが言えるものだ。受験競争や詰め込み教育を批判し、ゆとり教育を好評価してきた朝日新聞が、今頃何を言っているのか。また論調を180度ひっくり返したのか。読者は置き去りだ。朝日新聞の変節にはあきれた。

 >「これからは、もっとやわらかく教科書を使う必要がある。基礎は大事にしつつ、子どもの理解に合わせて、取り上げる内容を吟味し、考える時間をたっぷりとるようにする。教え込むだけの素材ではなく、子どもの気づきを引き出す道具でもある、と考えたい」

 だがやはり、ゆとり教育には未練があるようだ。「子どもの気づきを引き出す道具でもある」と書いている。気づかせるのには馬鹿みたいな時間がかかるのだ。まずはやり方を教えて練習問題を繰り返す。感じであれば書き取りを何度もやらせる。基本の繰り返しを行わないと、基礎学力がつかない。

> 「手取り足取りのヒントがたくさん載っている。でも本来、教える工夫を編み出すのは、教室で毎日子どもと向き合う先生たち自身だ。そのためには、先生たちへの応援も必要だ。最近は、授業方法や教材を研究する暇もないほど忙しいという。先生の数を増やし、雑務を減らして、指導力を磨く時間を確保してゆかねば」

 学校の教師と言う性質上、無理に土曜日を休みにする必要はないのではないか。また、先生の数を増やす必要など無い。少人数学級をやめて45人学級にでもすればよいではないか。まとめて教える分、効率的だ。少子化の時代に、大人数で生活をする機会は重要ではないだろうか。

朝日社説全文は以下
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小学校教科書―「分厚い」を「楽しい」に 来年春、新学年に進んだ小学生たちは、盛りだくさんになった教科書を手に驚くだろう。その戸惑いを学ぶ喜びにつなげてゆくには、どうすればよいだろうか。

 文部科学省の検定をパスした教科書は、いまのものに比べ、どの教科もページ数が大きく増えた。理科や算数は3割以上という変わりようだ。

 「ゆとり教育」への批判を背に、2年前に学習指導要領が改められた。基礎的な知識や技能の習得を大事にすることに加え、その知識を活用して問題を解決したり、表現したりする力をつけるよう求めた。授業時間も増やす。

 新しい指導要領はまず小学校から適用される。それを受けて、教科書も一気に欲張ったものになったのだ。

 ページを繰ってみる。台形の面積の出し方(5年算数)など、これまでは「発展的な内容」としてしか取り上げられなかった項目が、全員が学ぶべきこととして復活した。国語では、まだ習っていない漢字も、振り仮名つきで載るようになった。

 目立つのは、教え方や学び方の工夫がたっぷり盛り込まれたことだ。前の学年で習った内容の繰り返し、討論会のように言葉での表現を促す問い、気づいたことを書き込めるコーナー。ノートのとり方の例を載せた本もある。

 子どもたちの知識が薄っぺらになっていることは心配だった。教科書の内容が豊かになったのはよいことだ。学びの幅も広げられるだろう。

 課題は、先生たちにこの教科書をうまく使いこなしてもらうことだ。

 日本の先生はまじめだ。「教科書は内容をすべて教えるもの」と思っている人は少なくない。だが、新しい教科書をこれまで通りに教えていては、たちまち授業はパンクし、落ちこぼれる子どもがたくさん出るかもしれない。

 これからは、もっとやわらかく教科書を使う必要がある。基礎は大事にしつつ、子どもの理解に合わせて、取り上げる内容を吟味し、考える時間をたっぷりとるようにする。教え込むだけの素材ではなく、子どもの気づきを引き出す道具でもある、と考えたい。

 手取り足取りのヒントがたくさん載っている。でも本来、教える工夫を編み出すのは、教室で毎日子どもと向き合う先生たち自身だ。そのためには、先生たちへの応援も必要だ。最近は、授業方法や教材を研究する暇もないほど忙しいという。先生の数を増やし、雑務を減らして、指導力を磨く時間を確保してゆかねば。

 近年の教育現場は学力低下への批判を浴び、授業時間や教科書のページ数など、量をめぐる議論に目が向きがちだった。そろそろ「質の教育」をめざすことに本腰を入れるときだ。

 分厚くなった教科書を、そのきっかけにしたい。